晴天の霹靂

びっくりしました

猫の降る夜

いつも通り寝る前に本を読んでいた。

扇風機の音だけがパタパタ聞こえる中、漱石か何か気楽に読んでいたのだ。

開け放った窓の外に、ちょっとだけ熱の冷めた北国の夏の夜らしい気配が確実にある、静かな良い夜だ。

 

突然、本の向こう、部屋の真ん中に黒猫の像がパッと見えた。

「空中に猫がいるっ!」

驚きのあまり妙な音が口から洩れる間に、猫はずんずん重力を得て足の上にずどん、と実存の迫力を込めて落ちた。

「ちょっと大丈夫?」

私は懸命に猫の顔を覗き込もうとし、猫は懸命に顔を背けようとする。

 

我が家は長押に引っ掛けるように棚板をつって天上近くに手作りの本棚を設置しているのだ。

それはキャットタワーと接続してあり、猫が自由に行き来できるようになっている。

明らかに、猫はその本棚から降ってきた。

 

問題は、彼女が足を滑らせて落ちたのか、はたまた猫としての能力を試すために自主的に飛び降りたのか、ということだ。

たかだか集合住宅の天井高なので、運動能力の高い猫であれば飛び降りてみたくなる高さであるようにも見える。

しかし不本意に落ちたのだとすれば、しかも着地点で寝そべった人間でも踏めば、うっかり脚をくじいても不思議はないくらいの高さともいえる。

 

キャットタワーがまどろっこしくなって今後は一息に飛び降りることにするつもりならこちらも寝る場所やらなにやら考え直さないといけないし、

足を滑らして落ちるようなよっぽど野性を欠いた猫なのだとしたら安全策を考えてやらねばならぬ。

「あんた今落ちたの?降りたの?」

ねえねえちょっと、と問い詰める飼い主を後目に、さかんに毛繕いするやらソワソワ忙しそうなそぶりをするやら、懸命にごまかす様子を見ると、どうにも落ちた過失を照れているようにしか思えない。

 

うふ、うふふふふ。

「マロー、寝るよー」

隣の部屋にいそいそと出かけて行った猫に声をかけて照明を消すと、部屋は闇夜に沈んだが、今日は一緒に寝に来ない。

目が覚めたら、それでも朝日のあたる部屋に澄ました猫はちゃんといた。

「足グニってしなかった?」

と蒸し返せば、相変わらずヨソヨソしく黒い顔をして目をそらすのだ。

 

動物写真家の岩合光昭さんによれば、猫は傷つきやすからからかっちゃいけないんだそうだ。

それはそうだろう。どんな生命にも尊厳は大事だ。

「ねえねえ、それにしても落ちたの?降りたの?」

分かってはいてもやっぱり思い出すと面白くて、朝から猫の尻を追いかけまわすのをやめられない。

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書を読めば雷火のごとき猫のふる