晴天の霹靂

びっくりしました

父の暗黒壁紙事件

久しぶりに老父が一人で暮らす家へ行って静かな部屋で話してきたら、どうやら少し耳が遠くなっているらしい。

もとから、「耳が悪い」というようなことを自分で言ってはいたが、私が話してる感じでは「そんなことないんじゃない?」くらいの印象だったのだ。それが、ちゃんと正対しないで話しかけたりすると気づかれなかったりする。

そうか、こうしてる間にも時間は経っているんだなあ、と感慨深いものだ。

しからば、やや大きめの声で話す。こちらが大きめの声なのにつられて向こうも声を張る。でかい声を出すとなんとなく陽気なもんだし、腹筋あたりの鍛錬にもなってる感じもして「体力落ちてくるタイミングで聞こえにくくなるのはそんなに悪いことばかりでもないんじゃないか?」という気にもなる。

 

私が作っていったソイの照り焼き弁当を食べつつ父はいう。

「パソコンをつけて、しばらく経つと出て来る画面、あれはスクリーンセーバーって言うのか?」

「ああ、スクリーンセーバー。そうだね」

「なんか綺麗な写真が出ていたのが急に真っ黒い画面になった」

「……?起動しないの」

「いや、ちゃんと動く」

「心当たりないのに、急に画面が黒くなった?」

「いや、心当たりはちょっとあるな。なんかいじった気がする」

「いーひひひひひ(爆笑)食べ終わったら見てみます」

「うん。たぶん、なんか簡単なところだと思う」

「うん、そんな気がする」

見てみると、不吉な暗黒画面になっていたのはスクリーンセーバーではなくて壁紙で、右クリックオプションを出すと「単色背景」となっているのを、選択しなおしてめでたくデフォルトの環境写真になった。

「ああ、これこれ」と父は言う。

 

たしかに、まったく起動しないくらいの困った事態だったら自力でなんとかする方法を考えたかもしれないが、別に使えるからなんとなく放置するのだろう。しかしパソコンの画面が断りもなく黒いというのは目に入るたびにストレスには違いない。かと言ってもっとわけのわからない事態になっても面倒だと思えばあれこれいじってみるほどの気も起きまい。

タイミングよく私も、この程度のことでちょっと詳しい人風を吹かせられてなんとなく気分が良かったです。

 

「パソコン立ち上げると人口音声みたいのが『困ったことあったらなんでも聞いて下さい』って言ってくるけど、そもそもなんて聞いたらいいのかわからんしな」

「たしかにAIは”あれ””それ””これ”が通じるようにならない限りほぼ会話できないよね」

「そうだ」と父は力強くうなづくが、その実この人はなかなか立派な人だと思う。仕事でもないのに75歳になってワードなんか使って何か作ったりするのはよほど面白い人ですよ。インターネットの濁流に飲まれてネトウヨ化することもなく、暗黒壁紙に驚いて娘に漠然とした質問をなげかけたり、同級生たちと斬新な文集作ったり、いつの間にか少し耳が遠くなったり。衒わず普通に老いていく自分と暮らしている。立派な態度じゃあるまいか。

 

「今やってるあの映画ちょっと面白そうだな。『アインシュタイン』」

「最近アインシュタインの映画なんてあったかな」

「知らんか。テレビとかでいっぱい宣伝してるぞ」

「……『オッペンハイマー』?」

「そう、オッペンハイマー!」

「いーひひひひひ(爆笑)、いやアインシュタインも出てるからそんなには間違ってない」

歳をとることは面白いことに違いないと、思ってるよ私は。