晴天の霹靂

びっくりしました

さくら木の下、坊主めくり

数日前に観測史上二度目に早い桜の開花宣言が出たという陽気の中、月命日のお参りに行ってきた。

そこらの街路にも蕾を抱いた桜はあるが、開花している木がなかなか見当たらないのは、たぶんソメイヨシノでなくヤマザクラが多いからだろうと思われる。

 

そんな咲いてない桜の木の下のベンチに、ジェームス・ディーンみたいな赤いジャンパーを着て70代(父)が座っていた。

「いやいや、あったかいですなあ」

「なかなか、いいところですなあ」

などと言いあいながら、陽気のせいかいつもより供花の数が多い納骨塚に向かって手を合わせる。

「誰もいないうちに、こっそり」

「そうですな、しめしめ」

若干照れつつ、並んで般若心経を唱えはじめた。

 

「とくあーのくたーらーさんびゃくさんぼーだい」

のあたりで、なんだか怪しい電子音が聞こえてくる。

「あっ」

ごそごそとスマホを取り出す70代(父)。

しばし画面を見た挙げ句

「出ない。知らない番号っ」

と言って涼しい顔でまたポケットにしまう。

いやいや、読経中はスマホの電源をお切りください。

心中そのような思いがよぎったとしても、最近フィッシング詐欺にひっかかったばかりの40代(娘)としては、やたら知らない電話に出ないというのは良い傾向と思えるのでこの際文句は言わない。

 

先月の月命日に来たときにはまだまだぬかるみだらけだったが、すっかり爽やかになっている。

「少し歩いていくか」

週末なのもあって、お参りの人が多く、雪解けの直後だからか、お坊さんが来てる墓もちらほら見受けられる。

大事にされているお墓を見るってのは気分のいいものだ。

ぶらぶらと歩く道の脇には桜も結構多くあるが、やっぱりどの木も固い蕾が見えるだけである。

 

中で一本だけ、だいぶ桃色にほころんでいる桜の木を見つけた。

「ああ、あの桜……」

と声に出そうと思ったらところで、その下に一台良さげなセダンが止まっているのが眼に入った。

後部座席を大きく開き、路上で着替えをしている。

着替えと言っても、スーツのジャケットをかえるとか、そういうレベルではない。

痩せた腹の皮を思い切りよく外気にさらし、白い襦袢を着つつあるのだ。

 

「坊主が着替えてる」

70代(父)が見たまんまのことを、特に感慨もなく口にした。

いやいや、あれは出るところに出れば、変態的露出行為と言えなくもないレベルの奇行ではないか。

「なぜ、着替えてから出てこないのかっ」

私も、みたまんまの疑問を即座に口にした。

「恥ずかしいんじゃないか」

法衣で運転するのが恥ずかしくて、路上で生着替えが恥ずかしくないお坊さんというのはいかなる職業意識のなせるわざであるか!

と言い返しても良かったのだが、この瞬間私は70代(父)が「恥ずかしい」のことをちょいちょい「はずい」と言ってくるほうに気を取られ、適切なツッコミのタイミングを逸してしまった。

1990年代くらいに絶滅した若者言葉だと思っていたが、70代(父)と墓地を歩いている途中でリバイバルしてくるとは、なかなかのリビングデッドである。

 

「やれやれ。目のやり場に困ったのでうっかり見そびれたがさっきの桜の木が今まで見た中で一番咲きはじめていたような気が……」

通り過ぎてからしばらくして、二度見しようと振り返ったら、さっきまで一応襦袢を羽織りかけていたはずの坊主は、今度はゴルゴ13をも欺くほどに見事な真っ白いブリーフ一枚になっていた。

「だから、なんでさっきより全裸に近づいてるんだっ!!」

そして結局、件の桜の咲き具合は見そびれた。