晴天の霹靂

びっくりしました

『本は眺めたり触ったりが楽しい』 ~皮膚呼吸も読書のうち

最近めっきり電子書籍で読書をするようになって、よほどのことがない限り紙の本は買わない。

紙の本を買う理由は、電子版が出ていないものか、どうしても物質としてとっておきたいほど気に入ったか、無性に書き込みをしたい願望を掻き立てられるものか、である。

それ以外は、いずれ保存場所の問題で手放さなければならなくなってしまうので、デジタルで買うようになった。

だから私が主に書籍を紙からデジタルに移行した理由はだいぶ消極的な理由なのだけど、Kindle端末とアレクサの読み上げ機能のお陰で読書量は飛躍的に増えたし、読書量が増えたにも関わらず積ん読の方は飛躍的に減って、余計な罪悪感も持たずにすみ、めっちゃ快適な日々である。

 

そうは言ってもさ、「積ん読に対する罪悪感」ってなんなんだろう。

だいたい、読書家とか言ってる人だってそんなに無理に完読なんかしてなくない?

……みたいなことを書いてあるエッセイ。電子版が出てないのでわざわざ紙で買って熟読した。

そもそも私は「みんな口で言うほど本なんて読んでないよ」っていうことが書いてある本がえらい好きなのである。

 

なんだか自分以外の人にはすごい理解力があって、一回読んだ本はちゃんと理解できていて、だいたいの内容も記憶されているのではないか、と勘ぐってしまうのだ。

自慢じゃないけど推理小説最後まで読んだけど犯人が誰だかわからなかった、みたいなことって結構あるよ。みんなはそうじゃないのっ?

しかし世の中には「実はみんな口で言うほど読んでないよね」みたいなことを書いてある本ってまあまあの数出ているので、たぶん私はかなり普通タイプの読書家なのだ。

 

もうちょっと「気に入った本を買って家に置いておいて2ページくらいめくったら、それは読んだうちに入れて良し」みたいな感覚を普通に持っていった方が、読書は楽しくなるのではないだろうか。

積ん読も立派な読書となれば「罪悪感」みたいなものもなくなるから、読もうが読むまいが本も良く売れるだろうし。

『本は眺めたり触ったりが楽しい』はそういうおおらかな気持ちにどんどんなってくる楽しいエッセイだったし、まさに「モノとして持つ喜び」を刺激するかわいい挿絵もたまらない一冊だった。久々に紙の本として買って大満足。

 

そうは言っても、やっぱり私のように「本なんていちいち買っていたらあっという間に置く場所がないんだよ」という向きには電子書籍ってものはすンばらしい革新なので、

「統計によると本はデジタルより紙で読むほうが頭に入るらしいよ」

みたいなクソバイスをするカルチャーはぜひなくなってもらいたい。

世の中におもしろい本は山程あるんだからみんな好きな方法で読もう。あるいは読まないままで好きになっていいということを認め合おう。

 

 

私の救世主・電子書籍リーダーたち

漫画も雑誌も小説もアメコミも、どんなものを読んでも結構読みやすくてかなり安いFire10インチタブレットを一番愛用。なんかすぐ壊れるけど、言えばすぐ交換してくれるので、あんまり気にしてない。

 

 

 

外に持ち出すときと風呂で読むときはPaperwhite6,8インチ。軽くて「一応カバンにいれとくか」に対応できるのが神。バッテリーも長持ちするのでうっかりFireタブの充電が切れたときの頼みの綱としても欠かせない。大判の印刷物と漫画を読みたいときはかなり厳しいけど、軽くて小さいのって超便利。