晴天の霹靂

びっくりしました

アスパラガスとプルースト ~野菜に姿をかえたとびきりの美女たち

雪が溶けて風の匂いから湿り気が減ってくっるこの季節、アスパラガスが美味しくてえらいことである。

近所にある酪農学園直営の販売所で、週末ごとにとれたてのアスパラが入荷するのを、売り切れる前に毎週せっせと買いにいく。

寒冷地の地面から出てきたての若く柔らかい芽は糖度が高く、爽やかなとうもろこしみたいな味で、さっと茹でても、炒めても、とにかく余計なことさえしなければ絶対に美味しい。

もののレシピ本には「アスパラの根本は数センチは切って」などと記してあるものが多いが、雪国の地面で春を待ったアスパラガスの根本に捨てるところなど、全然ないのだ。

 

「アスパラガスって見た目も美しい上に美味くてすごい」ということを、持ち前の持って回った冗長な言い回しで表現したチャンピオンといえばプルーストだ。

 

私 が 心 奪わ れ 陶然 と し た のは、 薄紫 色 と 碧空 色 で 念入り に 彩色 さ れ た 穂 の 部分 から、 苗床 の 土 で まだ 汚れ て いる 根 もと まで、 地上 の もの とは 思わ れ ない 虹 色 の 輝き で、 かすか にでは ある けれど、 色 が ぼかさ れ て ゆく よう に 見える、 ラピスラズリ の ごとく 深い 青色 と 薔薇色 に 浸さ れ た アスパラガス を 前 に し た とき で ある。 こうした 天空 の 色合い こそ、 たわむれ に アスパラガス という 野菜 に 姿 を 変え た とびきり の 美女 たち ─ ─ 食べ られる 引き締まっ た 肉体 という 仮装 を通して、 その 貴重 な 根元 的 性質 を、 生まれ た ばかりの 暁 の 色 や ほのか な 虹 の 兆し、 消え て ゆく 夕暮れ の 青色 の うち に 垣間見 せる 美女 たち の 存在 を こっそり 明らか に し て いる よう に 思わ れ た。 そうした 根元 的 性質 は、 夕食 に それら を 食べ た あと、 夜 じゅう ずっと、 シェイクスピア の 夢幻劇 にも 似 た、 詩的 では ある が 下品 な 笑劇 の 中 で、 美女 たち が 私 の おまる を 香水 瓶 に 変え て 遊ん で いる よう な とき でも 感じ られ た。

プルースト. 失われた時を求めて 1~第一篇「スワン家のほうへI」~ (光文社古典新訳文庫) (pp.214-215). 光文社. Kindle 版. 

 

「アスパラガス美味い」と言えばいいところをなぜここまでダラダラと引っ張って面食らわせた上で、「でも翌朝のおしっこが臭いよね」と、言わでものことまで付け加えて、プルーストってお上品と信じ込んでいる読者を面食らわせるのか。

 

「え、何?嫌がらせ?わざとなの?」と思いながら持ち前の真面目さだけを持って読んでいた時代もあったものだが、繰り返し読むうちに嫌でも気づくのが、これが官能的なモチーフであることがいかほど大事なのかということだ。

まあ、たしかにアスパラは若芽だし、やけにシンボリックな形だし、おまけに美味いとなれば、それはどうしても官能と強く結びついている。そこまで考えると翌朝のおしっこの匂いが変わるというオプションまでついてくるのはほとんど爆笑ものの下ネタとすら、言えば言える。

 

終生同性愛者であったことをカミングアウトせず、その長い小説の中でも名言はしないままに、ただ無数の隠喩を散りばめながら日々の生活を執拗に表現しなおしていったプルーストにとって、「アスパラガス美味い」は「アスパラガス美味い」で済む程度の些細な出来事ではないのだ。

 

『スワン家のほうへ』において、アスパラガスはほぼ無敵である。

女中頭が気に入らない妊婦の炊事係をいびってやめさせる道具として使うのもアスパラだ。アスパラがパワハラとマタハラにも使えるなど、普通の人はなかなか気づかない。

 

「アスパラがここまで美味いとは。そうか、春なのか」

と半ば涙ぐむほどの思いをしながらも、美味いものは美味いと言えばすむほどに屈曲せざる欲望を生きてこられてしまったことは、プルーストに対して後ろ暗いような気持ちにも、少しなる。あれだけの長尺を使わなければ表現できない大切なことが、プルーストの生活の中にはたくさんあったのだ。

 

これから5月くらいまでは、ずっとアスパラはうまいだろう。