晴天の霹靂

びっくりしました

ミラーバーン、プルースト、アンタッチャブル

「1月としては95年ぶりの高い気温」などと言われた数日間の後に、冷え込みと大雪がやってきて、結果的に道路はどこもミラーバーンの上にふんわりと新雪をのせたブービートラップになっている。

力を入れて踏みとどまるべき地点のひとつもなく、ただ摩擦係数ゼロのところに全力で放り出されている状態あり、要するに漫画みたいに映えるやり方で私は今日も二回転んだ。

もはやちっとも恥ずかしくない。

 

正月に、今年はできるだけタイムパフォーマンスと労働生産性の悪さを目指して生きていきたいと心に決めたので、ひとまずその典型として思い当たった『失われた時を求めて』を最初から読み返している。

信頼のおけるタイパの悪さで、読んでいるうちになんの話だったのかさっぱりわからなくなるし、なぜそんなものを延々と読んでるのかも謎といえば謎なのだけど、次々とどこからともなく湧いてくる切れ間のない思い出の記述が、降って降って降り続いて積もる雪にも似ていて気持ちはいいのだ。

女中頭のフランソワが下働きの下女をアスパラガスでいじめる残虐シーンのことなど思い出しながら降り積もる雪の中を歩いていると、妙にしんみりした気分になってくる。

 

 

今日ほど極端な路面状況ではなかったとはいえ、かなりツルツルになり始めていた昨日のこと、目の前を荷物を載せたソリを引いた高齢の女性が歩いていた。

右手に杖を、左手にソリの紐と袋を3つくらい持っている。

足元は、私でもいつもどおりの速さで歩くのがちょっと不安なくらいには凍結している。

手伝いましょうかと声をかけようとして追いかけたのはいいが、いざ近づくとソリに距離を阻まれていることも手伝って急速に気後れした。

こんな狭い道でソリ越しに急に声をかけたら驚かせてしまうかもしれない、余計なお世話だったらお互い気まずい思いをするんじゃないか。

なんとなくタイミングをつかめないまま黙って後ろを歩いていたら、結局声をかけずじまいになってしまった。

今日のツルツル路面を見て改めて思い返すほど、だいぶ後悔しているのだ。

 

最近、映画『アンタッチャブル』を見なおして学んだ最大のことは

「ひょっとして手伝ったほうがいいかな?」

という場面を見つけたら、すぐ声をかけるのが一番だということだ。

余計なことは考えれば考えるほどどんどん状況は複雑化する。

見つけたらすぐ手伝っておけば、乳母車は階段から落ちないし、赤子は火のついたように泣かないし、次から次へ拳銃も出てこない。

そうしよう、やはり今年はそうしよう。

 

 

何度見直しても、「気づいた瞬間駆けつける」以外の解決法がない。


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