晴天の霹靂

びっくりしました

スワンの結婚、朝顔の一日目

プランターを覗き込んだら、今年最初の小さな芽がひとつ出ている。

朝顔の種を撒いたプランターなんだから朝顔の芽なのだろうとは思うが、昨シーズン面白がって雑にばらまいた果物か野菜の種である可能性も否めない。

しかし、去年見た朝顔の芽もこんなふうに色味の悪い冴えない感じの若芽だったような気もするので、するってえと、たぶん朝顔

発芽一日目にしてさっそく猫に食われては切ないので土を被せて隠しておきたい気にもなったが、せっかく目覚めて出てきたところをまた二度寝されるのも困るし、幸運を祈ってそのままおくことにした。

七難八苦を乗り越えて太陽に向かってゆけ。

 

ベランダにいる猫が、何の物音に驚いたのか四肢を踏ん張って耳をピンと立てている。

日差しの下で改めてみると、艶に恵まれた黒い毛に日の当たるところは銀に光って大変に美しい生き物である。

身近に暮らしていて、しばしば高いところから足を滑らせたりするのを目の当たりにするせいで甘く見がちではあるが、こうして見るとデザインに優れた生き物だ。

一世紀近く生きるくせに40すぎると全身痛いとか言い始める直立二足歩行の大型霊長類の不器用に比べれば用の美において圧倒的な差がある。

やや風が強いのを嫌ったのか、好奇心旺盛な小型肉食獣は早々にベランダから立ち去ったので、今日のところ朝顔は命拾いをした。

 

私はといえば、スワンとオデットがいつの間にか結婚していたので驚いた。

プルーストの2巻である。

周囲から眉をひそめられるような結婚をした、ということは物語の冒頭から言及されてはいるので驚くようなことではないが、さんざんスワンが嫉妬に苦しんだり、浮足立って「あばたってやっぱりえくぼですよね」とか言い出したりするのを読まされてきたので、これはこの先だいぶいろいろあるぞ、と思っていた矢先である。

「あれ、どこかでなにか読み飛ばしたのかな?」

とも思ったが、こんなふうにして一巻は何回も読も返しているんだし、今回主に読みたいのはまだまだこの先の『花咲く乙女たちのかげに』と『ソドムとゴモラ』あたりなのだ。

「とりあえずこのまま先にいこう」

と思って読み進む。

そうすると進んだ先でもまだスワンが恋に懊悩している。

おおそうかそうか。ここまで来てもまだ私は「時間の流れは一直線に決まっている」などという先入観のもと文章を読んでいるということか。

 

それはちょうど我が家の長兄であった虎猫のようである。

幼かった黒猫の面倒を見てくれていた頃の気配としてまだこの部屋に暮らしており、しかし2020年の初夏以降不在の記憶は消えたことはなく、毎日花と線香をあげるうちにいつのまにか家の守り神にもなったのと同じように。

すべての時間軸が瞬間瞬間の中にみっちり入っていて、マドレーヌを食べたときとか、線香に火をつけたときとか、くしゃくしゃの草の芽が芽吹いた時などに、急激に展開する仕掛けになっている。あれ。

 

白いプランターの中の植物の気配だって、2020年初夏から使われてないあの子の銀の餌皿だって、14巻もあるプルーストの膨大な行間だって、言ってみれば全部おもちゃ箱でもあるのだ。

この先、あの朝顔の芽からかぼちゃでも成長してきたら面白い。