晴天の霹靂

びっくりしました

良かれと思って無駄なこと

現状は、皆が私の仕事ぶりを率直に評価してくれた結果だと言える。

ベランダのプランター朝顔の種は、ひとつまたひとつと芽を出しかわいい双葉を伸ばし初めている。

その隣のプランターでは猫草がふさふさと茂り、伸びててきたところを狙って猫が日々刈り取っている。

おかげで、今年は猫によって将来を摘み取られた朝顔はまだひとつもないようである。

朝顔も、猫も、私も、ウィンウィンウィンではあるまいか。

 

私は、自覚しているより少し悲観的なのかもしれない。

自分の目論見などうまくいくはずがないと思っているフシがある。

猫というのはどうせ飼い主の裏をかくのを生業としているのであって、おもちゃを買ってやればおもちゃが入ってきたアマゾンのダンボールのほうで一生懸命遊ぶのだし、ちょっと手持ち無沙汰になって「よし、遊ぶかっ」などと声をかけた時には、面倒くさがって尻尾だけで生返事を返してくる。

 

だから猫草など買っても食べるわけはないし、育った朝顔はいたずらされる……そんなふうに思いこんでいたということにあとから気づいたりするのだ。

猫草がすくすくと育ち、それを見た猫が「あ、こっちのプランターがサラダバーね。了解」という素早い理解を示したとき私はひどく動揺した。

 

猫が勝手に間引く分を計算にいれて、狭いプランターに一袋分の朝顔の種を全部植えてしまったのだ。

全ての種が芽吹いたところで、あんなににょきにょきとツルを伸ばすものが、狭いところで仲良くやっていけるわけがない。

このまま人口過密の状態で育てられ続ければ、朝顔だって急激な都市化生活にストレスを感じて江戸川乱歩の恐怖小説みたいな怪奇現象をいっぱい起こしてくるに違いないのだ。

劣悪な生育環境に憤った朝顔たちがツルにツルを取り合って、現体制を転覆すべく部屋に侵入してくることもあるだろう。

しかしだからと言って今さら任意の朝顔を摘み取って、猫のサラダバーのほうへ移植するという残虐行為に自ら手をくだすこともできる気がしない。

サラダバーにうつされた双葉たちは、思うに違いない。

「一度は守ってくれようとしたのに、なぜ途中で投げ出すのか。どうせただの気まぐれならば、ありもしない希望など最初から見せなければよかったではないか」

 

双葉はすくすくと発芽していく。

猫はむしゃむしゃと猫草を食べ続ける。

私はひとり、迫り来る破滅の予感に頭を抱えている。