最近読んだめちゃめちゃおもしろい小説。
お父さんが電信柱にぶつかって死ぬところから、話ははじまる(そもそも電柱にぶつかると死ぬのか?)
ひとり娘が喪主となって葬式をあげることになるわけだが、次から次にやってくる弔問客は変な人ばかり。
激動の韓国現代史の中にあって3年間パルチザンのリーダーとして山にこもっていた”父”は国家によって犯罪者とされ、服役、その後の人生を社会にもどっていくことを禁じられたまま生きていく。そしてその父の娘はなによりもまず「パルチザンの娘」「アカの娘」として資本主義体制下の韓国で苦労を強いられる。
そんな父との遣る方無き思い出を振り返りながら葬式を出せば、次々とやってくるのは父の隣人や、タバコ友達や、面倒見たやら。「父」が「父」以外にもいろんな顔をもって生きていたことの生き証人たちだ。
葬式に面白い人ばっかり来る人の人生が、もしかしたら一番偉大な人生なんじゃないだろうか、と読んでいると実にしみじみ思うのだ。
身近な人を亡くした人は誰でも心当たりあろうが、命というのは死んだ途端に今まで蓋をされていた「語られるべき事柄」がぶわっと大量に出てきて興味深いものだ。
死は一回しかないことなのだからそれは大いに語られるべきことだと思うし、これを言うと大いに語弊があって難しいんだけど、人の死ってぜひともおもしろくあるべきなんじゃないかな、という気もする。
葬式エンタテインメントとしてめっちゃ名作。
独裁政権時代の父娘ものとして思い出すのは『タクシー運転手』
映画内ではソン・ガンホはたまたま光州事件に巻き込まれちゃった陽気なノンポリとして描かれてはいるが、実際は普段から勉強会に通ったりするようなインテリだったらしい。最後に運転者が自分の身元を隠すのも「アカの家族」として生きるのがどれほど大変なのかを知ると、なるほどな、と思うところ。