晴天の霹靂

びっくりしました

あるモータリゼーション世代の車遍歴

「一台目に乗ったのはパブリカUP20のグレイだ」

と、突然父がはるか昔独身時代に買った車を型式まで正確に言った。

「え、パブリカ乗ってたの」

やや頓狂な声を出した娘のリアクションに父の方も驚いたふうだった。私が車に興味あるなんて思ったこともなかったのだろう(実際それほど興味あるわけではない)

 

パブリカという車は少し前にNHKの『さがせ!幻の絶版車』という番組で見て、たまたま知っていたのだ。番組のせいですっかり「趣味人のクラシックカー」みたいな印象で記憶してしまったのだけど、どうやら父が青年の頃に「ちょっと頑張れば誰でも買える大衆車第1号」として多く出回ったものである。

そうか。団塊の世代の人生はモータリゼーションの歴史そのものなのだ。

www.nhk-ondemand.jp

 

空冷エンジンだから寒いんだ」「札幌で乗ってたんだけど中古だから室蘭ナンバーだった」

などと、実によく覚えていて楽しげに喋る。

パブリカUP20

 

面白いので2台目を聞くと「緑のカローラKE20」と、またスラスラ出てきた。

「あ、それは覚えてる。我々子どもが車酔いしたやつ。カローラだったのか」

「兄男が『緑見るとゲー出る』って言ってなあ(笑)」

カローラと緑にはとんだ濡れ衣で申し訳ないが、車酔いのせいでしばらく我ら子どもたちは緑が嫌いだったのだ。

カローラKE20

 

3台目は「ギャランの……何色だったかなあ」と、いきなりおぼつかなくなる。

型式を聞くと「もうトヨタの中古車ディーラーをやめたあとの車だから、そこまで覚えていない」と言う。白だったんじゃないかな、と言うと「そうだ。よく覚えてるな」と答えた。

とりわけ兄が車の匂いで酔うというので、ギャランに替えたときにレモンの芳香剤を置いたのが、また逆方面から臭かったのを覚えている。私が4,5歳だったのではないだろうか。昔の芳香剤はなかなか怪しい匂いがしたのだ。

記憶ではこんな感じの角ばったデザインだった昭和のギャラン

「じゃあ次が小豆色のレガシィ ツーリングワゴンか」「そう」「完全に釣り用だよねえ」「まあ、そうだな」

スバル レガシィツーリングワゴン

4台目のレガシィは子どもたちがそれぞれの世界を持ち始めたので親は親で趣味を取り戻す年齢になったのが見てとれる。窓がボタンで開くのに驚いたものだ。そして初めて我が家に新車がやってきたのだということもうっすら意識していたので私は中学生くらいになっていたのではないだろうか。

 

ワゴンR

「5台目が最近まで乗ってたワゴンRだ」

一番最後がお買い物とご近所お出かけ用の小さくて安い軽自動車になり、10年ほど乗って視力がおぼつかなくなって74歳で自分から手放した。

 

どれが一番好きだった?と聞くとレガシィだと言う。

「砂浜も走れたからなあ」

そしてたぶん、一番高い車でもあったはずだ。モータリゼーション世代としては一応の到達点だったとも言えるのだろうか。誰やら知らぬ友達と出掛けては車内泊で夜釣りをしていたらしいのを覚えている。

そうして私が車の話を根掘り葉掘り聞くとずいぶん嬉しそうで、母が車などまったく興味を持たない人だったのを「面白くなかったぞ」と笑いながら嘆息する。ああそうか、比較的口の重い父も、こういう話を誰かとしたかったのか、というのは今更知って驚くことである。

 

しかし、この車遍歴は、私には違う側面からの記憶もある。

レガシィを買ったとき「遊びに行くために買ったんじゃないんだ」と、母がずいぶんといつまでも不満そうにした。そしてその車で父がさかんに友達たちと釣りに出かけるようになったのを見て、「そのうち保険かけて殺されるんじゃないか」とまで言い出すようになったのだ。

他人事としてはちょっとユーモラスでさえある発想の飛躍であるが、身近で聞かされる身としては、仕事と家庭以外に繋がりを持つことを犯罪的に異常だと捉えるまでに縮小しきった世界感を母が持っていることは堪らないことだった。

人が生きていくうえでは、好きなことやら趣味やらは大切な糧だし、母自身だって何かすればいいじゃないか、と思ったのだ。

 

今覚えば、母があのとき本当に言いたかったのは「自分だけが不当に我慢している」ということではなかったか。

運転のできなかった母は、家族4人分の買い物をいつも自転車でしていた。週末はよく車を出して重いものの買い出しにでかけたりしていたから、それでいいと父は思っていたのだろうし、私も疑問を持たなかった。

しかし今にして思えばほぼ大人に近いくらいの体格になった子らを含めて4人分の食事から日用品からの一切の心配を一人でしていたのだ。雨の日は、雪の季節は、どうしていたのだろう。

とても背の低い人だったから大人用の自転車は常に足が地面につかず、荷台にゴム紐で大きな荷物をくくりつけて不格好にえっちらおっちら乗ったり降りたりしていたのをよく見たが、情けないことに本音を言えば私は「ああはなりたくない」と漠然と感じていたのだ。

車で悠々と買い物に出る人生ではなく、不器用にママチャリを漕ぐ自分を、誰からもそれを当然だとみなされている自分のイメージを、一体母自身はどんなふうに捉えていたのか。家計の帳尻をあわせるために自分のことをまず我慢し続けていたであろう人生を、そしてふと自分以外の家族は自分より好きなことをしているのではないかと思ったときの気持ちを。

「保険かけて殺されるんじゃないか」と娘にだけ聞こえるところでむっつりとつぶやくより、本当はもっと言いたいことがあったはずなのだ。

 

レガシィってわりと高い車でしょ」というと「うーん、まあ。そうだな」と、父は朗らかに答える。