母の月命日に納骨塚に集合して父娘で般若心経を唱えるという、異次元の珍妙エンタテインメントを実施するようになって三年目である。
未曾有の大寒波が来ている中、いつものように霊園に向かうと、老人は私が昨年末に編んで渡した真紅のマフラーを巻いてそこにいた。
「長いマフラーもいいな」
とあんまりストレートに礼を言うのも照れるのか老人は言う。
「うん、あったかいでしょ」
「あったかいのもそうだし、顔にも巻けるから。銀行強盗もできるだろ」
「……?」
ギャグなのか、色々気を使おうと考えた末に着地点で足がもつれたのか、もはや私には判断がつかないが一応喜んではもらったようで良かった。
仲良くはないが、仲悪いわけでもない血縁者ってのも図り難くて面白いもんである。
「まだストーブなしで暮らしているのか」
よほど驚くのか、父は冬に私にあうと決まって同じ質問ばかりする。
我が家も厳密にいえば、どうしても洗濯物が乾かないときのための小さい電気ストーブとか、窓からの冷気の侵入を防ぐためのラジエーターとか、猫用のこたつとか、首からぶら下げるハクキンカイロとか、それなりに暖房はあるのだが、生粋の北海道民が「ストーブ」というときに脳裏に浮かんでいるでっかいFF式の最強灯油ストーブは存在していないので、「暖房器具なしで暮らしている変わった人」ということになってしまうのだ。
「集合住宅で周りの家はストーブつけてるんだから、うちまでつけなくても別にそんなに室温は下がらないよ」
いつものように私はあなたまかせの適当理論を答えるのだが、本音である。
「まあな。朝起きたら金魚鉢が凍ってるような昔の木造の家と違うもんな」
と父は答えた。
「あ、あのへんそんなに寒い?」
と聞き返したが、よく考えれば父が育ったのは旭川よりまだ北にある街だ。
金魚鉢もボールペンのインクも、およそ液体たるものはなんでも凍るに決まっている。
「寒い寒い。氷点下20度を下回ったら学校が一時間遅れになるのが楽しみでな」
「えっ、そんなのはじめてきいた」
「どこかの角に赤い旗が立つんだよ。それが立ったら一時間遅れ。たしか違う色の旗もあったな。白だったかなあ。あれは氷点下30度以下で、二時間遅れかなにかだな」
「氷点下30度でも子どもを学校まで行かせるのか。もう車のエンジンもかからないよね」
「車なんてないから困らん。除雪車もないから雪かき面倒くさければ踏み固めるだけだし」
「はー」
今や除雪車が街じゅうの雪を綺麗にしてくれるからこそ、除雪車の稼働がおいつかなければ即座に都市機能が全面停止するが、最初から除雪を適当にしていれば、急激に何かが破綻することもないというのは目から鱗の発想ではあった。
「そもそも冬に夏と同じことしようとするのが間違ってるんだ」
「おおお!」
自分の身内から発せられた黒板五郎みたいな発言に感動のあまりでかい声が出る。
世界にわかり合えない人が居るってすごいことだ。
この人は一方では、「普通に生きていれば全員が手厚い福利厚生つきの仕事につけて、車と家族と家を持つ」もんだと思いこんでいる特殊な部族の構成員でもあり、自分より一世代下がれば「どういうルートを辿っても最終的には人生詰むように社会が設計されている」ということをいまも飲み込めないでいるために、私にとっては対話に苦労させられる相手でもある。
しかしまあ、それほどの世代の断絶の中にこそ、埋蔵金みたいに面白いものもたくさん隠れてもいるのである。
「冬に夏と同じことをしようとするほうが間違っている」という認識に基づいて回っている社会について想像してみたこともなかった。
もしかしたら、社会はそういう方向に帰っていこうとするのかもしれない。
自分と似た人とばかり話していていても、互いに新しいものは見いだせないが、理解できない相手だと気遣いながら喋る中に、感触のいいやつも良くないやつも、とくかく斬新な異物がボロボロ入ってるもんである。
げに目も覚めるほどの大寒波。