晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

親の卒塔婆を折る話

卒塔婆を二つに折ってリュックに入れて帰ってきたんだよなあ」

と、父が言ったときはさすがに変な声が出た。

「そっ、卒塔婆って折っていいの?」と聞いてみてから大爆笑。いいも何もないか。折っちゃたんだし。

「こう、膝でパキっと?」

「いや、さすがにノコかなんか使ったんじゃないかな」

親の卒塔婆を折った人の話なんて初めて聞いた。というかそういうのはホラー小説文脈でしか思いつかないが、考えてみればあれは朽ちるものだしな。

 

ファミリーヒストリーを調べている途中で、父の姉(私の叔母)が墓じまいをして、それがなかなか大変だったらしいという話を聞いたことがあるのをふと思い出したのだ。

「誰もやらないから、結局嫁いでいった人が全部やったんだよなあ」

なんて、いつだったか父がのんきなことを言っていたので「もしそのときの墓碑銘なり記録なりあるなら見てみたいんだけど」と、思いついて聞いたのだ。

「いや、墓って言ったって原野の隅っこに石みたいのがおいてあるだけだから」

「じゃあ墓碑とかもないのか」

「なんかお骨が3つか4つかくらいあった。あと卒塔婆を折って姉ちゃんのリュックに入れてきたような気がする」

ということで、冒頭の爆弾発言である。だってあんなの2メートルくらいあるんだぞ、車に乗らないもの、と父は言う。たしかにその辺においてくるわけにもいかないだろうから、折って持ち帰る以外の方法は思いつかないかもしれない。

 

「おじいちゃんと、その養父母と、生まれてすぐ亡くなった子が2人、5人分のお骨かな?」

「そうだったのかなあ」

などと頼りないことを言う、父はその時22,3歳の青年だったはずだ。すでに就職して親元を離れていたが、父の父(私の祖父)が定年退職前に亡くなってしまったので残された父の母(私の祖母)は社宅をでなければならなくなった。

祖母は結局北海道を離れることになり野原の隅っこからお骨を出し、紆余曲折の末、未知の土地である関東方面へ骨とともに移住。そこでちゃんとしたお墓を作った。父の姉が「墓じまいが大変だった」というのは、その「ちゃんとした墓」の方を言っていたらしい。

 

おそらく北海道のすみっこの原野で行われた方の墓じまいは、買ったばかりの父の車に、父とその母、姉と弟、家族四人ばかりぎゅうぎゅうに乗って札幌から遠路はるばる300キロの道のりを行き、リュックにお骨と卒塔婆を入れて持ち帰ってくる、風変わりなドライブだったのだろう。

それでもやもめになったばかりの祖母は、自分たちが若夫婦として開拓に入った原野に、結局何の痕跡も残さずにこれで一家誰もいなくなるんだ、という感慨はあったかもしれない。

一方、戦後生まれの父は屈託のない運転手役で、お骨が誰のものであるかもまったく興味を持たなかったし、日頃の言動から察するに「それ、真ん中で折ればリュックに入るんじゃない?」と言い出したのはたぶん父だ。

 

しかし亡くなってしまっているとはいえ、自身は運転免許を持っていなかったという祖父にとって、苦楽をともにした妻とと郷愁を分かち合いつつ、面倒見の良い一人娘のリュックに納まり、得意げに車を乗り回している新人類の五男坊の運転で新天地に旅立つのは、「骨にしてはいい旅してるよなあ」という気はする。ずっと流浪の人生だったのだ。

 

それにしても親の卒塔婆を折る話が出てくるとはねえ。と笑うと父は「聞かれて初めて思い出した」などと言う。案外この人は、家族の不思議ちゃんだったのかもしれない。

 

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