晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

『密輸1970』~75歳とウキウキウォッチン

『密輸1970』観てきました。

公開数が限られてるうえに、そろそろ終わり頃ですが超面白い作品。


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韓国映画らしくどの役者もとにかく面構えが素晴らしく、全部のキャラクターが立っていて、打ち上げ花火のようにスカッとする復讐譚。「絶対そんなにサメは居ないだろ」という場所にバンバン人食いザメが出てくるサービス精神。ストーリー上必要ないのにホテルの狭い廊下での近接アクションシーンをねじ込んでおいてくれる手厚い接待。無駄に感動を煽ってきたりしないちょうど良いシスターフッド。完璧なエンタメ映画だった。

 

私にとって特筆すべきなのはこれは御年75歳の父と初めて観た映画ということだ。

数日前に話していたときに「あの映画面白そうだな、えーと。韓国の……」などと言い出したので私はえらく驚いた。

「……まさか『密輸1970』?」

「ああ、それだ」

日本人にとってはほぼ知らない役者しか出ていない、さほど大々的な宣伝もされていない映画である。よほど普段から映画情報にアンテナを張ってる人か、韓国映画ファンくらいしか知らないのではないか、と思っていた。そして私も、興味はあったが、何しろ普段行ってる映画館では掛からないので、なんとなく見逃しているうちに、一日一回レイトショーのみ、という扱いになり、本格的に行きにくくなってしまっていたところなのだ。

 

「えっ、なんでそんな地味な映画知ってるの」と心底仰天して聞くと「道新に載ってた」と普通に答える。”ビュー数”などに扱いの順位を左右されない紙の新聞の底力よ。

お互い同じ映画をちょうど観たかったというところで「……じゃあ、行く?」と行きがかり上言ってみる。父は二つ返事で「行く」という。レイトショーといえば、ほぼ終電帰りであるが、ついでにその前に美術館も行ってみたいとまで言う。

夕方には閉まる美術館に合わせて午後から出かけて、展示会を観て、一番混んでいる駅で地下鉄の乗り換えをし、夏休みの繁華街で3時間以上の空き時間を潰し、それからやっと映画を観て0時近くに帰ってくることになる。

え、ちょっと待って75歳ってどんな感じなのだろう。分かって言ってるのか、それともそういうところにあまりピンと来てないから強気なのか。

「連日30度の気温ではあるし、美術館は見合わせて夕方から映画館だけ行った方がよくはないか」

と、遠慮がちに言ってみると

「ゆっくり移動すればいいから、両方行くのでどうでしょうか」とこれまた遠慮がちに譲る気のない返事が返ってくる。そうなるともう、「おもしろいからいいや、なんとかなるだろう」という気持ちにならざるを得ず「じゃあそうしましょう」と言った。

 

私が危惧していて、たぶん父が気づいていないのは、混んでるときの駅なんて”ゆっくり移動”が叶うような場所ではないことや、疲れたらちょっと座って休めるような場所もどんどん減っていること、すごいペースで駅の再開発が進んでいるせいで私も土地勘が怪しくなってきており、休憩しやすい飲食店やらにタイミングよく案内できる自信が全くないこと、などだ。

いや、そもそも0時ってたぶん普段の父は寝てる時間でもあろうし、などと思っていたらやっぱりやや心配にはなってきて、最近ハマっているタロットカードを引いて「うむ、経験と感性と包容力で突き進めと出ておるな」などと適当なリーディングをして元気を出したりしていた。未知数すぎる。

 

待ち合わせに行ってみると、普段は手ぶらでしか歩かない父が温泉一泊旅行に行くような肩掛けカバンを持って先に待っていた。何が入ってるのかと思ったら500mlのお茶が一本入っているだけらしい。私がやたら熱中症の心配をしていることが伝わったらしいことはありがたくはあり、しかしカバンがそれしかないんだとしたら、映画館で邪魔にならないやつを一個買った方がよいぞ、父よ。

父は後期高齢者の身分証明書の威力を遺憾なく発揮、9割引で地下鉄に乗り、無料で美術展をはしごし、いくら歩いても朗らかに意気揚々としている。乗り換えこそ、ひたすら私の後をついて歩く雰囲気ではあるものの、人混みさえ避けてしまえば、相変わらず私よりよほどたくさん歩ける体力の持ち主なのには感心する。

ちょっと歩いて近くの大学の学食で夕食を食べ(このご時世に二人で普通に食べて千円程度で済むには驚いた)、まだ時間があるので大型書店を冷やかしにいき、あちこちで平積みになっている『百年の孤独』を見つけては二人で指をさし、併設のスタバで小一時間お茶をした。時々あくびはするが、実に楽しそうによく喋る。

「あ、字幕なのか」などと今更なことを言いつつ無事映画も観て、「おもしろかった」という感想。そして閑散とした深夜の地下鉄ホームまで送って別れた最後までずっと陽気だった。

 

駅の移動ペースとか、ありとあらゆる自動なんちゃら機とか、一定の速度で情報を処理できる人に向けて作られているいろんなシステムとかに気後れするだけで、それらを不安なくパスできるのであれば、行ったことない場所に行ってみたり、したことないことをしてみたり、好奇心は無限にあるのだ。

今まで「一人でも結構楽しそうにやってる」くらいのところで、あまり気にしないでいて悪いことをした。ほんの少しのサポートさえあれば私よりはるかにアクティブな人だ。

 

楽しそうだったので「月に一本くらい映画見に行くようにしようか」と言って別れたら、翌朝「さっそくですが『大いなる不在』という映画が気になりますがいかがでしょう」という遠慮がちで譲る気のないラインが来ていた。

来週中に見に行かないと終わるじゃん!ペース早いなっ!

……とちょっと思いつつ、「予定立てます」と返事をする不肖の娘である。まさか、こんなに喜んでもらえるとは。本当に今まで迂闊だったな。

ちなみにその日、スマホの万歩計は一万七千歩。恐るべし。

 

 

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