晴天の霹靂

びっくりしました

先祖の戸籍を取ってみる

話は、父が車を手放したことから始まるのだ。

母がなくなってから3年ほどは月命日に霊園で顔を合わせていたのが、もう車がないので毎月来るのは無理だという。たしかに交通機関を使えば片道1時間、現地集合現地解散で手をあわせる5秒のためだけに来るには遠い。

「じゃあ、来月から私がそっちの家へ行くよ」

と、すかさず提案した。いくら元気と言っても後期高齢者、別に用事はなくても定期的に顔を合わせる習慣があった方が良いのは間違いない。母の暮らした家に月に一度くらい出かけて花を飾って線香上げるのも良いだろう。

それはそれとして。

父娘双方、おそらく互いにとっくに気づいていることではあるが、我々は別に話すことがない。こちらはなかなか興味深い老人だとは思っているし、向こうもどうやら私のことをオモロイ女として認識してる様子はあるのだが、だからといって互いに何か話したいことがあるわけでは全然ないのだ。

 

「じゃあ、昔の話でも聞くかな」と、思ったのは北海道に入植者としてやってきたであろう祖父の代より前の話を私が何もしらないせいだ。月に一度ずつ時間ができるのであれば、毎回ちょっとずつ揃えられる範囲で資料を揃えて本人の記憶と照合すれば、面白い聞き書きが作れるのではないか。

 

さしあたり思いつきで役所へ行って父の戸籍を勝手に取ってみた。さすがに隠し子の発覚など派手なドラマはなく、生まれきた人と死にゆく人が交差するだけのこざっぱりした戸籍であったが、興味深かったのは、結婚により除籍する前の本籍地だ。北海道の田舎で生まれた人には時々見かける、住所が「原野」のパターンだった。

「さすが、開拓三世。やっぱり原野育ちか」

おそらくその「原野」なる住所が、父の父、つまり祖父の本籍地なのであろうと当て推量した私はその「原野」の所轄の役所に、会ったこともない祖父の戸籍を請求してみたのである。「そんな人いません」と言われるのではないかと、内心思いながら。

 

親切な稚内市の戸籍係の人は、すぐに電話連絡をくれた。

いわく、請求者である私と、発行する戸籍の持ち主の関係を証明する必要があるから、私の戸籍を送るように。それから請求目的に「家系図作成」と書かれているが、それであれば旧戸籍法の戸籍も必要か。

「旧戸籍って、何が違うんですか」

「戸籍法改正の昭和22年以前の記載があります」

「じゃあそれも欲しいです」

「それからこのおじいさんに当たるガンジさんですね。おじいさんの籍に入っていて、除籍されていますが、それも必要ですか」

「…欲しいです」

それでは改製原戸籍2通分、1800円の郵便小為替と、私とじいさんのつながりの確認できる戸籍の写しを追加で送るように、ということで電話は切れた。

 

じいさんがじいさんの戸籍に入っていて、その籍は北海道にある?

「つまり父、開拓4世だってことか?」

一体いつ頃、何があって北海道にやってきてどうして生きのびた人たちなのであるか。まさか北海道の役所でじいさんのじいさんの代まで手がかりがあるとは予想もしていなかった。そして本来であれば存在するはずなのに見えてこない「じいさんの父」の身には、何があったのか。

 

この埋もれていた小さな物語は、私がずいぶん長い間無邪気に「開拓」と呼んできた歴史のはずだ。近年の『ゴールデンカムイ』などが牽引するアイヌ文化の流行とともに、数十年ごしにようやくうっすら気づいたのは、私が「開拓」と思い込んできたものは、他方からみれば「侵略」の歴史であることだ。そしてまさにその末裔として今暮らすのが私なのだ。知りたいことは色々ある。

 

最北端の役所からじいさんのじいさんの戸籍が送られてくるのはまだ先で、今月の月命日には間に合わないであろうが、ゆっくり手がかりを辿っていけばもしかしたら興味深い父娘共同作業ができるかもしれない。

原野で彼は何を見ていたか。

 

 

 

面白くて好きな漫画だけど、罪悪感を持たずに楽しめるように配慮されたオリエンタリズムに満ちた作品でもあることにも、今となっては気づかないわけにはいかない。