晴天の霹靂

びっくりしました

秋彼岸の一日

久しぶりに食パンを買ったので、友人にもらったコーヒー豆を練り込んだミルクジャムを開封した。

グリルでパリッと焼いた薄いトースト、溶けるチーズを入れたオートミール、りんご、スクランブルエッグ。

台風がいくつか過ぎた秋らしい気候で、猫も顔をあわせるたびに「お腹が空いて仕方ない」と訴えてくる。

気温が下がるのに合わせて皮下脂肪を蓄えなければならなくて大変なのだ。

今日何度目かのドライフードを噛み砕く音を聞きながら、私もエスプレッソの香りの高いトーストをかじる。

 

お昼すぎに雨は上がり暑くもなく寒くもない空の下、ベレー帽をかぶって手編みのストールをつけて出かける。

駅ナカ売店で小さな花束を買うと

「あら素敵ー ファッションモデルさんみたい」

と店員のマダムにたいそう褒められたので鵜呑みにする。

ストールというやつは、何の技術もいらないわりに自分の身長にぴったり合わせて作れるから実際なかなか映えやすいように私も思う。うふふふ。

 

お彼岸の霊園は今までみたこともないほどの大盛況で、共同納骨塚の献花台は花で溢れかえっている。

献花台の両脇にはおそらく霊園にありったけのバケツが出されており、その中も色とりどりの花で大変賑々しい。

国葬のようだ」

とつぶやくと、父が嬉しそうにガハ、ガハと笑う。

 

縁の薄い親子なので互いの生存確認のため、母の月命日になんとなくここに集合するようになってから二年になるが、彼岸と週末のぶつかった今日が過去最高の賑やかさだ。

「俺も死んだらここに入りたい」

などと言うので、いやいや私の方が長生きする保証もないので、と答える。

史上まれに見るほど手厚い福利厚生に恵まれた団塊の世代には、我々ロスジェネがどぶ板一枚踏み外したら即生命の危機と思いながら生きてきていることはなかなか伝わらないし、こちらも玉砕するためにいちいち相手の人生観に挑むような説明はしないように気をつけている。

「なにかあっても日本で餓死まではなかなかしないからな」

などとのんびり言うのを聞き流しながら、先程の駅の売店で定期的に行われる炊き出しの告知が貼ってあることちょっと切なく思い起こす。

世界はいろんな人が持っている世界観の、交差地点でしかありえない。

 

「ああ、じゃがいも美味しかった」

話をかえて父の同級生がやってるという家庭菜園で収穫した大量のじゃがいもをもらったお礼を言う。

おそらくは10キロ以上あったのを、毎日せっせと蒸して食べたと言うと、父は笑った。

「そんな俺の子供の頃のようなことを。冷蔵庫なんかなかった時代は収穫したらなくなるまでそればっかり食っていたもんだ。

あとは、外の地面に埋めたな。嵐とか来ると平らになって場所わからなくなっちゃうから竹竿立てておいて」

「へー。そんなことして熊とか取りにこないの」

「そんな、町中だもの」

北海道の片田舎の、開拓から二世代ほどしか経過していない時代の「町中」という感覚がどの程度のものなのか、どんなに聴いても私には想像がつかない。

 

じゃあまた来月、と言って別れる。

来月はまたぐっと気温も下がっていつも通り静かな霊園になっているだろう。

ちょっとずつちょっとずつ、季節が変わっていく。