晴天の霹靂

びっくりしました

全然ポーじゃない家族

「若い頃読んで人生に影響を受けた本は何か」というような話をしていて、その場に居た一人が「萩尾望都の『ポーの一族』」だと言い出した。

周りは年を取るのにそれに置いていかれる孤独を描いた話である、という。

「そんなものを萩尾望都はまだ20代のうちから描いているのだ」

という力説を聞きながら、中年たる私はふいに別の場面を思い出していた。

 

その頃習慣にしていた母の月命日の墓参で、納骨塚に続く長い階段を揃って降りながら父がはじめた話だ。

母の兄(私の叔父)に用事があって、初めて家を訪問したのだという。H叔父は、私が子どものころから夫婦関係がうまくいかずに別居状態を続けていたが、その後どうなっているのか長らく知りもしなかった。行ってみるといつの間にか再婚しており、訪問先で父はH叔父の「二番目の妻」と初めて会ったらしい。

「それが、白髪の婆さんでよ」

と、父は自分の毛髪状況を棚にあげておかしそうに言ったものだ。

「せっかく再婚するなら、若いのにしたらいいんでないか」

笑う父に、一方の私はわりと普通に驚いた。

「同じペースで歳とってくれる人がいいよ」

「そうか」

今思い出してみると、それが伴侶を亡くしてまだ間もなかった父の発言であったことと、わざわざお参りに行った霊園での与太話だったことは妙な感じだ。

 

母の命の火が消えていくのを一人で見守った父こそおそらく、「この人はどうしてこれ以上一緒に歳をとってくれないのだろう」と寝ても覚めても思ったに違いなく、その種の感情にまつわる切実さはたぶん私とは比べ物にならないのだ。

それはそれとして、「せっかく再婚するなら若いのに乗り換えていった方がお得」という家父長的親父ギャグが墓参ついでに炸裂するあたりの、なんとなくピンと来てなさ、というのも「ああ、そうだったそうだった。こういう人だった」と思い出されるものがあって、正直結構おもしろかった。

しかしそういう「それはそれ、これはこれ」みたいな昭和マチズモと一生同居しなければならないと感じた母にはどうだったのか。

考えてみれば母は70代になった途端にそれ以上年をとるのをやめ、そういう意味で我々もポーに取り残されたほうの一族なのである。

 

「年をとっていっていくのが悲しいのか、いつまでも年をとれないほうが悲しいのか……」

ポーの一族』について力説がまだ続いてる中で、なんとなく私は父の「そうか」が耳について上の空になってくる。あれはどういう「そうか」だったかなあ。

 

 

 

ちなみに私の好きな萩尾元作品は『半神』