我が父は「親の卒塔婆を折って持ち帰った」というユニークな逸話の持ち主であるのは先ごろ発覚したことだ。
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なかなか興味深い話である、と思い返すにつれ、私はもうひとつ別の興味が出てくる。
卒塔婆を折られたところのイワジさん(私の祖父、父の父)は養父に連れられ「原野」に入植してきた北海道開拓家族である。入植した土地でイワジさんはまず養母を亡くし、生まれたての自分の長男を亡くし、養父を亡くし、8番目に生まれた末の娘を亡くし、そして55歳で自分が亡くなる。その後陽気な子どもらによって卒塔婆を折られた。
つまりその原野のあたりで一族5人亡くなっているはずだ。
しかし父の言うには「なんかお骨が3つか4つくらいあって」と、曖昧なうえに数が少なめである。
考えてみれば、原野に入植した以上、近隣に火葬場ができるまでは土葬だったはずじゃないか。興味が湧いて「その卒塔婆のあったところどんな風だったか描いて」と頼んでみた。
「卒塔婆が2本くらいあったな。そのうち一本が親父さんだから折って持って帰ってきて。あと丸い石が二つくらい。多少墓っぽい形の石もひとつくらいあったかな」
「誰の墓とか何も書いてないの」
「うん、ただの石」
「ここはOさんちの裏山な。下に母屋と牛舎とかあって。このへんに柵があったな」
「Oさんち」というのはイワジさんの妻(父の母、私の祖母)の実家である。
この「Oさんち」とイワジさん一家は、戸籍を辿るに、どうやらほとんどひとつの大家族同然で、同じ秋田から北海道に流れてきて、最初は同じ炭鉱で働き、それぞれ男子と女子をもうけ、その後そろって同じ原野に入植した。後に互いの男子と女子を交換する格好で夫婦が二組誕生したというおそるべき結束である。
生まれときから家族同然に過ごしていた異性と結婚する気になる人がちゃんと4人揃っていたというのはすごい。
そんな仲良しOさんちの裏山にイワジさんの卒塔婆があったので、父ら不肖の子どもたちはそれを持ち帰ってきた。
「あれ?お骨を持ち帰ったんじゃないの」
「いや、なかったな。骨は家にあったんじゃないか」
「じゃあ卒塔婆だけとってきたの」
「卒塔婆を取りにいったのか、引き払うから挨拶に行ったのか忘れたけど」
これが人の話を聴く醍醐味なのだろうけれど、前回聴いた内容と少し話がずれてきている。
「じゃあお骨が3つ4つあったって言ってたのは家にあったのか」
「たぶん、そうだな」
「じゃあ、その仏壇はどんな感じ?」
「押入れにじいさんとばあさんの写真が二つくらいあって、その後ろにお骨が3つ4つ、結構ぎっしり並んでた」
「……押入れ?」
「押入れ。坊さんが来たときに開ける」
「坊さん、押入れに向かってお経上げるの?」
「うん」
「(便利だな!)」
ちなみにこのイワジさんは写真が趣味だった人らしく、かつては押入れを暗室にして自分で現像していたという。よくよく押入れに縁のある人と言えるようでちょっとおかしい。
結局どこからが火葬で、誰が原野の土に帰ったのか、私の最初の興味関心は解決に至らなかったのだけど、話を聴くほどにちょっとずつ記憶がゆらぎながら脇道にそれながら鮮明になるらしい様子はなかなか感動的なものがある。
「まさか自分が後期高齢者になるとはなあ」
「一世代って、短いものだねえ」
そして骨やら卒塔婆やらの話をしてゲラゲラ笑う。
私が作っていった弁当の、カレイの塩ダレ漬け焼きを、うまい、と言った。