晴天の霹靂

びっくりしました

猫が読むグラビア、人が読む時事ネタ

巻頭特集を読みたくて珍しくもプレイボーイを買った。

週刊プレイボーイ 2020年 10/5 号 [雑誌]

週刊プレイボーイ 2020年 10/5 号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/09/14
  • メディア: 雑誌
 

 部屋においておくと、もともと本を偏愛する傾向のある黒猫が大変な勢いですり寄っていく。

うちの猫はやや極端に本好きの傾向があるのだが、猫はおしなべて新聞は好きなものではある。

もしかしたら一般的に猫の傾向として印刷したてのインクのにおいが好きなのだろうか、いつも以上に熱心に密着している。

 

面白いので見ていたらびっくりしたことに、ページの間に器用に手を入れて巻頭グラビアを一ページずつめくり始めるではないか。

「こじるりなのっ?こじるりが好きなのっ?」

そんなに猫が手先を器用に使うのをはじめてみたので呆然としていたらグラビア特集を全部めくり終わってTENGAの広告が出てきたらところで突如興味を失ってそのまま隣の部屋へ遊びに行った。

 

やむなく、集中力の足りない高校生みたいに勿体ないことをする猫が読み捨てた雑誌を拾いあげ、続きを読む人間である。 

ふむふむ、熱心な菅ウオッチャーたちをもってしても総理交代の瞬間にジャパンライフの社長逮捕というタイミングの妙は予測不能だったのだな、などと新しいニュースを踏まえてしかつめらしく巻頭特集を読み、またその場に真新しいインクのにおいとともに放置する。

 

なんとなく部屋の中は、プレイボーイを挟んで牽制しあってるみたいな構図になっているが、特集「唐揚げチェーン戦争の行方」は、今のところ二人とも読まない。

お彼岸、豊平川の鮭遡上

男やもめになって二か月ほどの父は、いつ訪ねて行っても静かな家でローカルラジオを聴きながらちゃんとソファに座っている。

一人だからとテレビの前で一日寝そべっているようなタイプの人じゃなかったことをを今更知って「結構立派な人だったんだな」などと内心感心した。

知らないことばかりだ。

 

持参した花を活けていると、ラジオが「豊平川で今年最初の鮭の遡上を確認した」と告げた。

「おお、来たか」

と父は嬉しそうに言った。

「おじさんとかおじいさんって上ってくる鮭を延々と見てるよねえ」

私がちょっと冷やかすと

「あれは面白いなあ」

としみじみ言う。

「ずっと見てられるな。四年ぶりに、よくかえってきたなーって。」

「えっ?毎年帰ってくるんじゃないの?」

父は一瞬、どこから突っ込んでいいか分からない戸惑いの顔で私を見る。

素っ頓狂な声を出してしまってから自分の言ったことを考えなおして、一拍置いて爆笑した。

そうだそうだ。鮭は毎年遡上してくるけど帰ってくる個体は毎年別の子だ。

彼等は毎年全力を振り絞ってのぼってきた川で力尽きて命を終え、そのダイナミックな生命のドラマが北海道のおじさん並びにおじいさんたちの心を強く惹きつけているのではないか。

都会に働きに出た子が手土産もってちょいちょい帰ってくるのとはわけが違うのだ。

 

父が淹れてくれたお茶で二人でおはぎを食べた。

それは実家の近くで道に迷ったときにみつけた新しいお店のもので、ずいぶん小さくかわいらしく、カラフルで写真映えするものだ。

「玄米のと、ほうじ茶の。どっち」

「味の想像がつかんからどっちでもいい」

仕方ないのでなんとなく粉っぽくて気管を攻撃してきそうな玄米の方を、私が取った。

子どもの頃、祖母が大皿にあふれんばかりにつくっていたおはぎは、餡と、胡麻と、きなこの三種類、大変シンプルなものだった。

「ばあちゃんの作るおはぎはでっかかったよねえ」

と笑う。

家庭でおはぎを作る技術は、すでにもう途絶えてしまった。

しかし、あの個体とこの個体は今はもう違うけれど、我が家の女系は代々姿かたちがよく似ている。面白いものだ。

 

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鮭帰る四年の世界旅終えて

 

 

 

 

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

この夏、買ったもの買わなかったもの

この夏買ってすでに十分に減価償却もすんだのではないかと思われるほど使い倒したのはiwakiのウォータードリップサーバーだ。

 

 

rokusuke7korobi.hatenablog.com

 

ぼちぼち朝晩も涼しくなってきたが、このウォータードリップで入れたコーヒーをレンジで温めてホットにして飲んでおり相変わらず活躍中である。

落ちるのに数時間はかかるが前もって作り置きさえしておけば、飲みたいと思ったときにインスタントコーヒーくらいの手軽さですぐ飲める。

手軽なわりに安い豆でも種類や水温、自分で挽くか粉で買うか、など細かいところで無限に遊べる、というあたり、どちらかというとギミックとして大いに気に入っている。

嗜好品というのは所詮、生活の中の遊びの部分なんである。

 

 

一方で、明らかに魔が差したとしか思えない方向から妙に欲しくなるものもある。

「いやいや、さすがに使わないだろ」

と思って静観しているうちに幸か不幸か、旬の方が過ぎていかんとしている謎の物欲。

大きな声で言うのもてれくさいが、この夏、ちょっとだけ天突きが欲しかったのである。 

羽衣印 木製天突き

羽衣印 木製天突き

  • メディア: ホーム&キッチン
 

 夏の盛りに、粉寒天が少し残ってたのを発見したので缶詰を使ってフルーツ寒天を作ったのが発端である。

そこで「おやおや寒天と言うのは思ったよりおいしいな」と思って、うっかりその後も寒天を買ったりフルーツの缶詰を買ったりして、時々寒天デザートを作り続けたのだ。

 

そうこうするうちに、自分が本質的に関心があるのはフルーツ缶詰のほうではなく、むしろ寒天の味と食感なのではないか、と思いはじめた。

わざわざ缶詰を買ってむやみにデザートにしなくても、天突きさえあればおかずとして食事の時に食べられるのではないか?

 

つきたてところてん(もどき)食べ放題への好奇心は思ったより強固であった。

しかしながらこれは明らかに遊びすぎの部類であり、どう考えてもところてん(もどき)以外には一切使い道のないこの道具がいずれ邪魔になることは初手から目に見えているではないか。

だいたい一回分の粉寒天を煮ると500mlほどできてしまうのだ。

食事のときにそんな量のところてん(もどき)があってどうする。

 

「そうだよなー、絶対いらないよなー。すぐ邪魔になるよなー」

 

と自分に言い聞かせ、早くところてん(もどき)のことなど好奇心もわかなくなるくらいまで寒くなるのを待っている。

モタモタしてるとうっかり買ってしまわないとも限らないからな。

 

 

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ちゃぶ台に華厳の滝落つところてん

 

ホームメイド供養~素人戒名、読経デュオ

母の戒名をつけたのは、私なのだ。

誰に承認を受けたわけでもないその戒名は、実家にたまたま余っていた細長いタイルに油性ペンで書き込まれ、しばらく骨壺に寄りかかって斜めに立っていたのだが、

毎日見ているうちに「これはあんまりだ」と思ったらしい父がビニールテープの芯にカッターで切れ込みを刻んでスタンドを作ったことで自立できるようになった。

 これにより、今後納骨をしてもDIY位牌は寄って立つ足場を確保できた次第。

 

 「じゃあ、いっちょやりますか」

と自由過ぎる位牌に向かって父娘は正座し、

「ぶっせつまーかーはんにゃーはらーみーたーしんぎょーぉ」

とはじめる。

急ごしらえとはいえAmazonミュージックで何時間も繰り返して耳から覚えた私は、素人にしちゃうまく読んでる方だと思うが、遍路が好きで毎年八十八か所霊場のうちのどこかしらの寺で数回は読んでいるはずの父は、小学校一年生の国語の授業のようにおぼつかない。

骨壺の中の人も、この光景にはずいぶん笑い転げているに違いない。

 

最後の外出は家の裏手の公園での花見だったというので、じゃあ同じ場所に行って同じ写真を撮ってこよう、と弁当を持って出かける。

いまや花も実もないエゾヤマザクラの木は

「これもこれもこれも、全部桜だ」

と教えてもらわなければわからないくらい普通の地味な木になっているが、見上げていると隣の木に青いいがぐりがぶら下がってるのが見えた。

「こっちは栗の木だ。実がついている」

というと、父も見上げて

「ほんとだなあ」

と言った。

 

その公園の他にもよく行く散歩コースがあって、母が「あれは私の栗だ」と言い張っていた木があるのだという。

「でも他にも狙ってる人がいるらしくて、実がなくなってるときもあるんだよな。私の栗を誰かに取られたっ、ってよく言ってたぞ」

「へえ。毎年栗ご飯してたの?」

「まあ、そうだな。でも毎回二つとか、みっつとかそれくらい。ほんのちょっとだからいいんだよ。面倒くさくなくて」

あははは。なんだいい話あるじゃないの。

ここに来なければ聞き逃すところだった。

 

団塊の世代である両親はそれなりに堅実な人生を送り、比較的実直凡庸な子どもを二人育てあげたが、年子のふたりはそろって就職氷河期世代、川の流れのようにごく自然に末代となった。

寺との付き合いもないし、信仰もないし、親類縁者もないから、何もしない何もいらないというのは二人で話しあって決めていたのだという。

だから母は亡くなってから一度も宗教者にあっていない。

 

それはあっぱれ見事な最期だが、供養と言うのは送った側の人が

「ああ、こんなことならああしてやればよかった。本当は伝えておきたいことがあった」

という気持ちを少しずつちぎって忘却の川に流していくイベントでもあるのじゃないか。

 

戒名 は、 そもそも、 仏弟子 に なる こと を 表明 する という 意味。 それなら、 死ん だ からと いっ て つけ た のでは、 手遅れ です。   死ん だら 仏門 に 入っ た こと に し て、 戒名 を つけ、 位牌 に しるし て、 仏壇 で 仏 として 拝む のは、 家 制度 の 中 で こそ 意味 が ある けれど、 現代 では、 意味 が ある とは 言え ませ ん。 家 制度 は とっくに 崩壊 し て しまっ て い ます。   やり たい 人 は お やり なさい。 けれど、 意味 が ない と 思い ます。

 

橋爪大三郎. なぜ戒名を自分でつけてもいいのか: ブッダの教えから戒名を考える (サンガ新書) (Kindle の位置No.769-773). samgha. Kindle 版.

 

 

 

 年を追うごとに限界家族化の進む団塊世代団塊ジュニアにとって、供養はだんだんホームメイドになっていくのかもしれない。

そういう権威も形式もない、いわば手探りの供養は先にいく人が残してくれるエンタテインメントの種でもある。

思いついたことは全部やってみればいいんじゃないか。

少々気恥ずかしくて普通はやらないことも、供養と思えば思い切ってちょっとやれちゃうし、楽しいもんだ。

そしてそれらが、いずれ残る最後の一人のために死を教えてくれる機会にもなるのだろう。

 

でも、 逆 に 言え ば、 戒名 を つけ ても いい。   この 本 で、 ここ まで 述べ て き た 理屈 が よーく わかっ て いれ ば、 戒名 を つける のも 意味 が ある。   そもそも 戒名 を つける のは、 仏弟子 に なっ た しるし。 これ までの 人生 を 反省 し、 生まれ変わり の しるし として、 自分 で、 ふさわしい 名前 を つけよ う。 あるいは 誰 かに、 つけ て もらお う。 そういう こと だ と 思い ます。   この 点 から 言え ば、 生前 につける のが 一番 いい。 と 言う か、 生き て いる あいだ に つけ なけれ ば 意味 が ない。 ま、 何 かの 理由 で 生前 につけ そこ なっ た の なら、 死後 に つけ ても バチ は 当たら ない と 思う。 それ は 亡き 親 に対する、 子ども の 気持 です。

 

橋爪大三郎. なぜ戒名を自分でつけてもいいのか: ブッダの教えから戒名を考える (サンガ新書) (Kindle の位置No.779-786). samgha. Kindle 版.

 

 

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青栗の下に父娘の二十年

 

うなぎのように、それはくる。

九月にしてはずいぶん暑い一週間だったけれど、やっと少し落ち着いて、日が落ちてくると多少しのぎやすくなってきた。

柔らかな毛が密集してるので肌触りが素晴らしい分、とにかく暑がりでもある我が家の黒猫は、日中は家じゅうの涼しいところ、涼しいところをはしごしてまわり、まるきり人間に顔を見せようとしない日もあるくらいだった。

 

それがどうやら、やや涼しくなるとふと自分が一人暮らしではないことを思い出して呼びにくるのだ。

「いいよー、今なら遊んであげるよー」

くらいの澄ました顔をして開け放したドアから、にょろり、と黒光りながら仕事部屋に侵入してくる。

「遊んであげるよー、じゃないし!」「お前の方が忙しい、みたいな演出腹立つし!」

と、一瞬、威厳のためにちょっとだけためらうのだけれど、ありがたいので遊んでもらう。

涼しくなるのも、いいもんだ。

 

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しのび込む黒猫にょろり秋の暮れ

 

トマトで何かこしらえて ~ジョバンニの姉さんの謎

「さっき姉さんがトマトでなにかこしらえてそこへおいていったよ」

 

銀河鉄道の夜』の中で、病床の母がアルバイトから帰宅したジョバンニ向かっていうセリフである。

私は、昔からこれが気になっていた。

「トマトで何かこしらえる」とは?

 

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ますむら・ひろし賢治シリーズ『銀河鉄道の夜

 

 

世の中に、トマトを使う料理はたくさんある。

グルタミン酸が豊富に含まれるから、何に入れても出汁が出てうまい。

野菜が豊富な地域ならラタトゥイユとか、肉や魚ならトマト煮込みとか、サルサみたいなソースの類もある。

でも、なんとなくそれらは「トマトも入れた料理」であって、「トマトで何かこしらえて」とは言わない気がするのだ。

味噌汁を作ったときに「昆布で何かこしらえて」とは、なかなか言わないではないか。

 

「トマトで何か」といいたくなるくらい主役としての料理といえばやはり冷やしトマト的なものではないか。

しかし、そうなると「トマトで何かこしらえた」という表現はかえって妙なところが出てくる。

ジョバンニがちょっとやんちゃな気分だったら「トマトでなにか、じゃなくて、トマトだろっ」と、突っ込んでしまうに違いない。

 

ジョバンニの姉さんは、トマトで何をこしらえたのか。

セリフのイメージだけで情景を想像すると、トマトに小器用な細工をしてパッと見ではなんだかわかりずらいオブジェ的なものを創作した、という感じが、どうもするのだ。

トマトを見るたびにクリエイティビティが触発されて、つい何かしら形容しがたいものを作り出してしまう草間彌生みたいな姉さんだったらジョバンニ一家も相当に朗らかでいいじゃないか。

 

暑い中にもめっきり秋の気配の深まってきてもいる昨今、おそらくは今年最後のものであろうミニトマトの完全に熟したやつがゴロゴロと段ボールに山ほど入って大変安い価格で売られているのを見かけるようになった。

見つけ次第買ってきて、ジップロックのでかい袋にそのまま入れて全部冷凍する。

完全に凍ったら暑いさなかにざらざらっと取り出して、おやつに食べるのだ。

 

変に甘さのないシャーベットが口の中と体の熱をとってくれるようでとても爽やかだ。

アイスの実くらいのサイズでコロコロと凍っている球形もかわいらしくて、白い皿にちょっとしたデザートぶって盛り上げて一人でつい嬉しくなってしまう。

「見てかわいい、食べておいしい、保存もきくし、冷凍トマト最高だなあ」

なぞと悦に入って積み上げていたらハッと思った。

 

ジョバンニの姉さん、私みたいな感じの人かっ?

 

 

 

『MIU404』における国産ジョーカー菅田将暉~ネタバレ

今クールはTBSドラマ『MIU404』を観ておりました。


『MIU404』9/4(金) 最終回直前!! スペシャルムービー【TBS】

 

 「観ておりました」も何も、佳境を迎えたあたりでやっと「面白い」という情報をキャッチして第七話から見始め、要するにラスト5話分しか見ていないので、ドラマの大筋はいまいちよく呑み込んでいないのです。

主役の二人がどうして刑事なのにメロンパン販売カーに乗ってるのかってあたりからしてほぼ理解していない。申し訳ない。

 

それはさておき、ラスト5話だけでも大変魅力的なドラマでありました。

何が興味深いといって、「何考えてるのかまったくわからない悪人」であるところの菅田将暉の造形が完全にバットマンシリーズのジョーカーだってことでした。

 

ダークナイト (2枚組) [Blu-ray]

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2008年に『ダークナイト』が世界的大ヒットをしたときに、当時日本での興行収入だけがあまり振るわなかったことについて、映画評論家の町山 智浩さんがミルトンの『失楽園』を踏まえた文脈でとても面白い解説をしていました。

(非公式なので載せないけど動画サイトで「町山 智浩 ダークナイト」で今でもヒットします)

 

要するに、絶対神をベースにして倫理を成立させてきた文化圏では、近代以降「神が存在するなら自分たちの自由意志はどうなるんだ」という問題と直面せざるを得なかったということです。

この文脈において『失楽園』など連綿と文芸作品の伝統があるキリスト教圏に比べると、「自由のために反逆し続ける純粋悪」という存在が日本人にはなんのことやら十分に伝わらかったのだろう、という面白い分析でした。

 

 

そしてさらに、2019年の大ヒット作かつ最凶闇映画『ジョーカー』があります。

ジョーカー(字幕版)

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 こちらは一転、日本でもヒットしたのは、反逆する対象がもはや宗教的概念の「神=善」ではなく、身も蓋もなく現世的な「格差」だったせいのように思います。

絶対的な善悪を問う前に、なりゆきで形成されていった秩序によって社会は決定的に分断されており、もはやモラルへの反逆を語るのに神の存在は必要ない。

他人事として見られないだけ『ダークナイト』よりだいぶ胃の痛い作品でした。

 

そしてコロナショック後生まれのジョーカー、菅田将暉

この人が反抗してるのは「神」とか「格差社会」とかの特定の強固な物語ではなく、どうやらそもそも「物語の不確かさ」であったように見えたところがすごく面白かったのです。

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衣装からしてジョーカー

 

2020東京オリンピックに多数のボランティアが応募しているというニュースを観てなんともいえない顔で見つめるシーンがあるのです。

どうかすると全体の流れに関係なさそうに見えるシーンでもありますが、非常に印象的でした。

  

オリンピックに関しては私の実感でも、最初「復興五輪」と標榜していたものが、いつの間にか「人類がウィルスに打ち勝った証」に変わっており、それに関して特に誰も説明を必要としなかった流れはなかなかに虚無的な感じを受けました。

 

要するに誰もが「次々生産される物語は最初から自分のためのものじゃないし、誰かが都合よく利用するために作っては消費していくんだろう」ということを緩やかに了承していて、どうせ世の中なんてそんなものなんだから目前の実害がなければそれに乗っかっていくのもやぶさかではないという前提がどうやら我々にはある、と再認識したのです。


何が起こっても生き生きとした怒りを感じることがない我が身に比べると「ただお前たちが自分に都合よく作っている物語の裏をかければそれでいい」という2020年国産ジョーカーは、共感できる悪でした。

 
でも、ジョーカーにしては船の中のシーンで刑事に優しすぎなのですよね。

二人一緒に転がしておいて、携帯もそのままにしておくなんておかしい、船の中のジョーカーはやはり極限まで残酷な選択を迫らなければっ。

ああやって主役二人に勝ち目を残しておくのが2020ジョーカーの希望だった、ということなら理解できるけど、まあやっぱり優しすぎるな。



ラストのホアキン・フェニックス版「ジョーカー」をオマージュしたシーンもとても印象的でした。

彼は挫折した自分の計画について何を思っていたのか。