晴天の霹靂

びっくりしました

スナップえんどうのぬか漬け ~そして糠油の感激

すっかり冬も終わり、ぶら下がりものの野菜が柔らかくて美味しいですね。

さやごと食べる豆類は種類が色々あって「どれがどれやらよくわからん」と思って暮らしてきたものですが、今年はぬか漬けにするとめっちゃ美味しい豆を見つけてしまいました。

 

スナップえんどうと書いて売ってるので、

「なるほど、スナップえんどうか」

と買って帰って、レシートを見直すと「スナックえんどう」と印字されていてひとしきり混乱させられるタイプの豆です。

たぶんどっちか本名でどっちがハンドルネーム。

 

筋の思いっきり硬いところだけスッと取って、そのままぬか床に埋め込んで一日。

シャッキシャキの歯ざわりが最高です。

サイズ的にぬか床の中で迷子になりやすいため、翌々日になってから発掘されるヤツもいたりして、時間の経過とともに色は地味にはなるが、2日かけてよく浸かったやつも大変に美味しく、旬の柔らかいうちに毎日食べたい。

 

最近のぬか床マコンド

ヤクルト容器の上半分に画鋲でたくさん穴を開けたものを常に埋めて水分量の調整をしている。

乳酸菌たっぷりの水分を捨てるのはもったいない、という派閥も居て、それはそれで理屈はわかるのだけど、私は一定のバランスに保ったほうが扱いやすいと思う派だ。

野菜を取り出すタイミングで、溜まった水分を捨て、塩とビオフェルミンを足して、新しい野菜を漬け、穴あきヤクルトを戻しておく。

 

近頃気づいたことには、浸かった野菜を取り出して洗う時、表面にうっすら油分がついていて水を弾いているのだ。

スーパーで買ってきた炒り糠でぬか床にしていたときには感じられなかった現象であり、

「これが糠油かーっ」

と、ずいぶん感動したものだ。

たぶん、オイル中に糠の香りも保たれるのだろうし、発酵の活発な季節でも油の分じっくり漬かっていくのであろう。

こんなに差があるならば、良い生糠を供給してくれるお米屋さんを支えるためにも、お米はお米屋さんで買うことにしようと、決意をする昨今である。

 

 

 

 

ぬか床が赤いのは韓国産の漬物用唐辛子がたっぷりはいっているせい。

生糠でも安心の防虫用カプサイシン供給源。

 

 

ビオフェルミンを入れるようになってから、蓋を開けるたびに毎回乳酸菌の良い香り。

予想をこえて日々良い仕事をしてくれている。

『シン・仮面ライダー』~「緑川ルリ子よ」にはびっくりしたもんです

『シン・仮面ライダー』見てきました。

事前にいろんな人から鑑賞ハードルを低く設定してもらっていたので、それを踏まえて言えば思ったより楽しかった。


www.youtube.com

 

アバンタイトルは結構かっこいいので、

「これで二時間頑張れればだいぶいいぞっ」

と思っていたらやっぱり、タイトル終わった途端に何もないところで人が三人突っ立って長話を始める、といういつもの感じになってはしまうのですよね。

なるほどこういう決め絵と長話が交互に二時間続くのだ、と覚悟してちょっとぼんやりした構えで鑑賞すれば、面白いシーンは随所ありました。

メフィラス星人っぽい蜘蛛とか、キル・ビルっぽい蜂とか、ゲーム・オブ・スローンズ風の玉座とか、いちいちいろんなところから引いてくる感じがクイズみたいでかわいい。

 

主役と思しきキャラクターがいきなり「私は緑川ルリ子よ」とか言い出したときはさすがに、今どき役割語で会話してバイクの後ろに乗る女性に関心を保つのは難しいんじゃないかと危惧したもんですが、わりと全部のキャラクターの造形がなんとなく変で、バランスは取れちゃってるところも面白かったです。

仮面ライダーの人は、心を閉ざしているという設定があるのはわかったけど、だからってあんなに陰気である必要はないんじゃないか。

なぜそんなに小型犬みたいにずっとプルプルしているのか。

 

ところどころかっこいいアクションとかデザインとか音楽とかあるので、セリフを全部切って動きのあるところだけ繋いでいったら、案外面白い映画だったのではないだろうか。

あと、長澤まさみっていい人だな。

 

外国語書籍リーダーとしてのFireタブレットに目覚める

Kindle端末を手に入れたときにもっとも感動したのは

「今後は収納場所の心配なしに本を買えるのだっ」

ということではあったのだけど、使っていくうちに感動したことがもう一つある。

 

洋書を手に入れることと読むことが異様に簡単になったことだ。

洋書の入手のハードルが下がったのはAmazonの普及によってすでに達成されてはいたけれど、書いやすくなったからといってこちらの語学力がついていかない限り、「気軽に色々読む」という状態にまではなかなかならない。

それが、Kindle端末で買えば、分からない単語をタップするだけ電子辞書から語意が出てくるし、なんなら文章まるごとの翻訳も一瞬で出る。

「もはや机に向かわなくても読めるじゃん」

ということで、めでたく「寝転がって外国語の本をよむ」という夢のような状況が達成された。

 

 

前に翻訳で読んで「面白いことはわかるが、あまりちゃんと読めてない気がする」というぼんやりした感想を抱いた『三体』を、ここにきてあらためて英語版で読んでるわけだが、これがびっくりするくらい面白い。

私が日本語を理解するときに情緒に頼りすぎるせいだと思われるが

「どうもSFは日本語より英語で読むほうが理解できるっぽい」

とだいぶ前からうすうす思ってはいたのだ。

だからと言って「辞書をひきながら読む」となると、それはそれで気が散って全然話が理解できないため、長編を一冊読み通すほどの根気はなかなか出なかったのを、技術の進化によって知らぬ間に楽々とクリアされてしまっている。

 

オバマも読んだでおなじみのEngish Editionの『三体』はハードSFのわりにめっちゃリーダビリテイ高いし、単語が簡単でやたらと読みやすい。(それでも翻訳機能は使うけど)

こんな事言っては気取ってる人みたいだが、本当に日本語より英語で読む方が面白いではないか。

 

 

そんなことをしているうちに

Kindle端末、英語以外の言語も対応してくれればいいのになあ」

ということも考えるようになる。

いろんな言語の本が、買うことは簡単だし、価格も安いのだ。

もはや本人の知能はあんまり関係なくて「扱いやすいテクノロジーが手に入るかどうか」ということにだけ読書経験の幅がかかってくるってことだ。

 

などと思っていたところで、それもすでに手にいれていたことにある日突然気いた。

漫画や図版の多い電子書籍を読むように持っているFireタブレットで、何の気なしにロシア語の本を開いてみたら、翻訳機能が普通に使えるようになっている。

 

kindleにロシア語の書籍は安くたくさんあるし、何だか知らないが無料のものも多い。

適当にダウンロードして、つまらなくて途中でやめても全然気にする必要がないくらい、選択肢が豊富なのだ。

 

表紙だけ見て気になったものをダウンロードし、誰の何だか全然わからない状態で読み始める、という近年あんまりない読書の仕方は、この情報過多の時代においてとっても楽しい。

英語以外の外国語は、せっかく機会あって学んだとしても、その後勉強を続けようにも書籍を手に入れるのも大変だし、辞書もバカみたいに高いし、そうこうするうちに基礎を忘れていくし、という状況を「もったいないよなあ」と思って過ごしてきたものだが、本当にわずか20年くらいの間にいろんなものがほとんど無料になって、びっくりしますね。

勿体ないから読もう読もう。

 

 

ジャケ買いで今読んでいる本。なんだかわからない。

 

プランターに猫草

 

気象庁が積雪ゼロを言った途端に、いたるところで場所を取っていた雪の山が本当に、視界からほぼ消えた。

消えたあとからは、数ヶ月かけて雪道のあちこちに撒かれていた滑り止めの砂が現れ出てきて、急激に埃っぽい世界が生まれる。

特有の埃っぽい路肩で、ついに今年最初のクロッカスを発見した。

「そうかそうか。ついに花の季節がやってきたのか」

なんとなくコロポックル風の人影であるようにも見える蕾に、目でかすかにうなずきながら、春の気配の中を歩く。

ではうちも、そろそろ猫草を植えてもよいだろうか。

 

数日前からベランダに出るようになっている我が家の猫が、空っぽのプランターに首を突っ込んでは

「猫草はいつ生えてくるのか」

としきりに催促するのだ。

冬の間何ヶ月もベランダに出ていなかったのに、2つあるプランターのうちのどちらに猫草を植えてあったのかまでちゃんと覚えているのも感心するし、そんなに楽しみにしていたのならこちらも真面目に努めなければ申し訳ない。

 

猫が草を食べるのは、毛玉などを吐きやすくするようにするためだと俗説に言われるようだ。

まあきっと、そういうときもあるのであろうが、我が家の猫を見ている限りでは、土の匂い、太陽の匂い、風の匂いなど、季節感の情報を草を噛んで確かめているという印象の方が強い。

生活圏が部屋の中とベランダに限られているうちの猫にとって、日光で育った草はおそらくとても重要な世界に関するニュースなのだ。

 

「じゃあ、ちょっと待っていてごらん」

100円ショップで買ったふるいを使って去年の土の中から草の根やらなにやらを取り除き、今年用の土を作る。

すっかり硬く乾いて、新しく買い足さなければならないだろうと見えていたものが、意外にも中のほうはしっとりとしてなんとなく良さそうな土であったことにちょっと驚く。

土も、あんなに長い冬の間ぐっすり眠って時を待っていたのか。

 

えん麦の種をパラパラと蒔いたあとで水をたっぷりやる様子を、猫が後ろから真剣に見守っている。

芽が出てくるまでの間も楽しめるように、豆苗の根をすみっこの方におまけで植えた。

猫はさっそくプランターの中に鼻を突っ込んで、今年のサラダバーの仕込みを確認している。

「芽が出る前にカラスに掘り返されないように、ますます自宅警備に励んでくださいよ」

しばし並んで、ささやかなベランダにやってきた春の活気を眺める。

 

 

 

猫草はキットで売ってることが多いけど、種だけ買うと安いので草原みたいにしてあげられて楽しい。

ぬか床は外付けHDDとみつけたり

いろいろ世情の厳しい時代に、こんなに呑気なやつが居ていいもんだろうかと後ろめたさは感じるが、ありのままを言ってしまえば

「今朝のぬか漬けはうまく浸かっているか」

と、ワクワクしながら起きるのだ。

いい大人としてこんな目覚めが、信じがたいほど幸運なことであるのは間違いない。

なんとなく鼻先では乳酸発酵がうまくいっているときの、華やかな甘い匂いが漂ってきているようでさえあり、布団を蹴立てていそいそと起きる。

朝からいきなり退屈をかこつ猫の額をなで、餌皿にカリカリをいれてやりながら、今朝のぬか床にはどんな野菜が入っていたのか、頭の中で反芻する。

「大根の2日干したのが一切れと、きゅうりと、茄子と、あと人参かな?」

毎日さほど代わり映えはしないが、漬かり具合はもちろん毎日違う。

日々の微調整の繰り返しが、今朝のぬか漬けであればこそ、漬かり具合は生活の成績表である。

 

酸味の尖りを取るために少し前からビオフェルミン錠を毎回入れるようになってから、また一段と味がよくなり、もはやぬか床への日々の期待はほとんど生活の中心に近いところまで来てしまっている。

美味しいぬか床、明るい未来。

 

ビオフェルミンは、健康のために自分が飲むという手も当然あろうが、ぬか床で培養してから野菜で摂取すれば、だいぶ菌的にお得にはなるわけで、そうなってくるともはやぬか床は私自身の外付けハードディスクとも言える。

してみればぬか床の調子さえよければ私の機嫌もよいというのも、道理が通ったことであろう。

 

 

3週間に一度ほどの足しぬかには米屋からもらってくる生糠をつかうので、防虫効果を見込んでキムチ用の韓国唐辛子を入れている。

辛味は強くないが良い香りがして、ぬか床全体がちょっと珍しい感じにオレンジに染まり、「我が家のぬか床」感がぐっと増す。

 

毎日の天然塩、ビオフェルミン、足し糠の際の唐辛子。

うまくいっているときは余計なことをしない。

なるほど自分の外付けハードディスクと思えば、たいへんに興味深い、ぬか床と暮らす平凡な日々である。

サウンドイヤカフ ~散歩と読書をつなぐ橋

氷の解けはじめた春先の公園で池のまわりをひとりで歩いていて、

ふと目をあげると薄氷の上にすっと細い筆で引いたように青鷺が立っている。

「さっきからぐるり池の端を歩いていたのに、よく今の今まで気づかずかにいたものだ」

と我ながら呆れて足を止めても、鷺の方でも私のぼんやりを知っているのか、注目されたことに特別警戒するでもない。

池のあちらとこちらで、なんとなく互いを意識しあって立っていると、足音のしない雪道の向こうから、カメラを持った人がひとり駆けてきた。

それほど珍しい鳥ではないとしても、春の予感となごり雪の混在した今日の風景の中の青鷺はたしかにとりわけ美しい。

その写真愛好家に場所を譲るような気持ちでその場を離れて、しばらくして振り向くと、鷺はもうどこかへ居なくなっている。

あの鷺は私のためにああして立っていてくれたのか、と思いたくなるほど、なんだか不思議な時間だった。

だいたい白い景色の中に見るあの鳥は、少し美しすぎるようだ。

 

耳を塞がずに音を聞けるイヤカフ型のイヤホンを買ってから、外を出歩くときもずっとなにか聞いているようになった。

本当に生活が快適になったのは

「今読んでいる本がおもしろ過ぎるので中断してまで外出したくない」

というやや不健康な葛藤が減ったことだ。

iPhoneのアレクサの読書補助機能で読んでいる箇所の続きを読み上げながら、外出できる。

家の中で座っていなくても読書ができるようになり、また外から帰ってきても聞いていた続きからKindle端末で読めるようになって、これは劇的に生活をスムーズにしてくれた。

 

しかしながら、実はこれはこれでまたちょっと別の葛藤がありもする。

散歩をするなら、風景に目を向け、季節の鳥の声を聞き、今自分が歩いていることに注意を向けることこそが意義なのだという「お散歩純粋主義」が、自分の中にないではないのだ。

池に青鷺が立っていたのも、Kindleの読み上げを聴いていなかったらもっとずっと早くから気づいていたろう。

 

最近はずっと昭和史に関する本を読んでいる。

本当はもっと知っているべきなのに、なんとなくみんなが学ぶことが不得手なままやりすごしてしてしまった時代のことを、せっかく興味を持ったタイミングだからまとめて読もうとしている。

そうしてとぼとぼと下を見て歩いていて、ふと目を上げたら、幻みたいに鷺が立っていたのだ。

 

何も聞かずに歩いていたら最初から鷺に気づいたのかもしれない。

一方で、物思いにふけっていたらいきなり目の前に鷺がいて、目を離したらあっという間にいなくなった経験と、ともすればなかったことにされるという危機感の中で編まれた現代史が同時に記憶されるなら、これも読書体験の一部になるんだろうとも感じる。

読書は、もっといろんな記憶と混じり合いながら経験されていってもいいものだったような気も、するのだ。

 

 

 

 

快適すぎてわりと安いのと、わりと高いの、両方持っている。

デザイン性にこだわらないのであれば安いのでもちゃんと快適。

 

 

 

りんごのぬか漬け ~皮ごと芯ごと種ごと

この時期によく出回っている、収穫から時間が過ぎて味が薄くなってきているりんごを、ぬか漬けにしてみる。

半分に切って、そのままぬか床に押し込んで一日。

柔らかくなってるので皮も芯も種もそのまま半月切りにザクザク切って、胡瓜やら大根やら人参やらの他の野菜と一緒に朝からりんごまるごと一個である。

ほんのりの塩味と、なまっぽい食感と、乳酸菌の酸味と、果物の甘さと。

噛んでいるうちにくせになる風味で、シーズン終わりで安く出回るこの時期ならではの贅沢であることは間違いなく

「売り場からりんごがなくなるまで毎日漬けようっ」

と決意しつつ、軽快に食べる。

果物の少ないこの季節の、今年新しく見つけた楽しみである。

 

近頃ぬか床の瓶の蓋を開けたときに、少しセメダイン風の刺激臭を感じるようになっていた。

混ぜてしまえば匂いは消えるし、漬けた野菜は美味しく浸かってるので

「別に気にしなくてもよいのだろうけど」

とは思いながら、それでももう少し乳酸菌のバランスを整えればこの匂いもしなくなるのであろうと考えた結果、ビオフェルミンを2錠放り込んでみた。

おもしろいもので、翌朝ぬか床の蓋を開けたらもう酸っぱい匂いをしなくなっている。

当然のこととして、どうやら漬物の酸味もまろやかになっているのである。

あんなに小さい粒、ふたつくらいのことでねえ。

やはり菌を育てるのは抜群に面白いものだ、などと思いながら、今日も今日とて新しいりんごの真っ二つやら、訳あり茗荷やら、なにやらかにやら、ぎゅうぎゅうに漬け込むのである。

 

ぬか床の中には、旬の野菜とちっちゃい明日への希望が埋まっている。