晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

『地獄の黙示録』ファイナル・カット ~ガシッと掴んで連れ帰る気持ち

真夏の雨がコンクリートを冷やして集合住宅最上階の我が家もだいぶ過ごしやすい室温になりました。水風呂を出たり入ったりしながら読んでいたコンラッドの『闇の奥』が猛暑にぴったりきたので、勢いで映画化作品であるところの『地獄の黙示録』も観ようかな、という気になります。

近頃はアマゾンビデオでファイナル・カットと特別完全版が観られるようになっているのだけど、たぶん私はどっちか片方しか観てない。

 

地獄の黙示録』って、漫画みたいなキルゴア中佐を観て爆笑して、「ワルキューレの騎行」のシーンでつい盛り上がってしまうことにバツの悪い思いをしつつ、スゲースゲーと言って観ていたら後半から急激に雲行きが怪しくなり、まったく動こうとしないマーロン・ブランドが暗闇でブツブツ言い始めたあたりで途方に暮れるが、とにかく画力があるのでうっかり最後まで観てしまう、という作品だと思っていたのです。

 

これが歳をとるってのはありがたいもので、久しぶりに観たら最後まで全部おもしろかったです。

単に「フランス人農園のシーンとマーロン・ブランドのシーンはああいうもんだ」とあらかじめ寛大な気持ちになって観ているせいもあるかもしれませんが、今や自分よりずっと若いマーティン・シーンが次々と”まったく理解できないもの”に直面させられていく旅路を観るにつけ、「あるよねー。人生にはそういう地獄あるよねー」と、しみじみしてくるようになりました。

最初からわかりやすかったマンガみたいなキルゴア中佐

今までは”キルゴア中佐が絶対に爆弾に当たらない”ギャグが一番おもしろいだろと思って観ていたものですが、そこはそれとして一番最後のシーンが印象深かったのです。

カーツ大佐を暗殺するというミッションを渋々果たしたマーティン・シーンがヨレヨレで帰っていく途中で、LSDで陽気になって現地の人と同化していた阿呆のランスをちゃんと見つけて腕を掴んで連れ帰るところがなんだかしんみりします。

子犬を懐に入れて光るものに見とれてばかりいる阿呆の子ランス

これだけ派手な映画のこんな地味なカットに我ながらずいぶん心動くものだなあ、と不思議な気がしてつい二回観てしまいたが、やっぱりあのしっかり腕をつかんで「ほら行くぞ、バカ」っていう感じで連れていくところが堪らなく、またその陰には同じくらいラリった状態でどこかに紛れてるデニス・ホッパーもいるはずではあるんですが、そっちは全然探さないところも、気づくとちょっと可笑しい。

 

思えばあのラリっているランスという若い兵士からして、旅の途中、丸腰のベトナム人たちがのっている船を一方的な銃乱射で虐殺してしまい呆然としている中で見つけた子犬を奪い取ってその後ずっと懐に入れて連れ歩いた青年でした。

なんだかよくわからないけどランスが子犬を手放すまいとした仕草と、何もかも嫌になっちゃってるマーティン・シーンがほとんど無意識にランスの腕をつかんで連れて帰る仕草が非常に近しいようにも見えるのです。

価値判断など、ほぼなんにも分かんなくなっちゃってる状態で明らかに自分より無垢なものを見つけると、人ってああやって連れて歩いてしまうもんなんじゃないか。

それはもしかしたら自分が猫を飼うようになったから目についた動作なのかもしれないのですが、疲れきったときに「あ、ここにまだ無垢なものがある」と思って無意識にガシッと掴んで引き寄せてしまう仕草は、「わかる。疲れてるんだよね」ととめどない共感を寄せざるを得ないのでありました。

(しかしあのあと、デニス・ホッパーはどうなるのかね?)

 

連れて帰ってもらえない方の薬物中毒デニス・ホッパー



 

原作はコンゴが舞台。ジャングルの奥地に潜んでいるのは軍人ではなく、なんと東インド会社のサラリーマンなのです。

暑すぎる日に水風呂にこもりつつ読むと熱帯ぽっくてやけに面白い一冊。