晴天の霹靂

びっくりしました

火事とトッカリと給食と

父76歳は小学生のとき、校舎が丸焼けになったことがあるという。

友達が火遊びをしていて大火事になり、全部焼けてしまったのでその後中学校やら公民館やらあちこちに場所を借りて分散授業をしたそうだ。

 

その話が気になっていたので、図書館で町史を引き、マイクロフィルムをめくって古い新聞を探してみた。地方紙とはいえ、札幌から300キロ離れた小さな町の小学校の火事である。社会面の四分の一近くを占める大きな写真入りの記事を本当にみつけたときには、ちょっと声が出そうだった。

8月のある日のその見出しには「小学校焼く 物置から出火 四教室だけ残る」と書いてある。16教室のうち、5,6年生の4教室だけを残し全焼。小使い住宅と校長住宅も焼けた。

 

印刷したものを父に見せると、やはり驚いている。

「はあ、すごいな。『浜頓別、枝幸、歌登各町村消防団に応援を求め』か」さすがに興味深そうに読み、色々思い出すらしい。

「ぜんぜん近寄れないんだ。100メートルくらいでもう熱くて」

「見に行ったんだ?」

「そりゃみんな居たさ」

「……みんな?」

「みんな」

「(暇か!)」

 

「学校の前に池があって、それ壊してポンプ繋いだんだよな。だからあの頃はもう水道来てたんだな」

記事を読んだ父の目の前には火の熱さと消火活動の活気が浮かんでいるのかもしれないが、私は池と水道と消防用ポンプの関連があまり飲み込めないまま頼りない相槌を打つ。

「その池でトッカリ飼ってたんだ」

父が突然ひらめいたように手で縦に丸くて長いものを形作りながら言った。

「トッカリって?」

「トッカリ。知らないか?こんな。小さいあざらしみたいなの」

スマホで検索すると、トッカリはアイヌ語でずばり「あざらし」のことだった。

 

「なんであざらし?あの辺、まあまあ内陸じゃん」

「誰か連れてきちゃったんだろうなあ(笑)」

父の育った町は海岸から20キロ程内に入っている。さすがにアザラシの子が一人でやって来る距離ではないはずだ。

「いや、かわいいけどさ」

「かわいかったぞ。こうやって魚やるんだ」と、今度は何かをつまんでぶら下げる仕草をみせながら

「大人が見ると『危ない。指食われる』って言われるんだけど、そんな事言われてもなあ。いつもそうやってやってるし」

聞いてるこちらは、そもそもなんで小学校に生魚があるのかが気になっているのだが、思うに授業が終わったら走って帰って釣り竿を取りに行き、川に釣りに行ってまた学校に戻ってきたということなのだろう。

にわかには飲み込めないほど豊かな少年時代だ。

 

「じゃあトッカリ君は池を壊されて熱かったのか」

「いや、火事のときはもういなかったんじゃないかな」

「どうしたの」

「どうしたのかなあ。何かにやられたか。あの辺熊はいないと思うけど……」

池を発端にしていきなり火事と関係ないトッカリが出てくるとは思わなかったが、この連想の力こそ強引に時系列で整理されていない思い出の豊穣である。

 

「翌年には鉄筋の立派な校舎が建ったんだね」

と、今度は町史の写しを見ながら私が言う。

「そう。その時に給食室もできたんだけど、まだ始まらなくて、そのまま卒業しちゃったからついに食べられなかったな」

聞けばサラリーマンの家庭だった父はきちんと弁当持参で通ったが、持って来られない子や隠して食べる子もいたらしい。

「隠して食べるって、雑穀?」

「芋が入ってる」

腹を空かせた記憶はないという父は恵まれた子で、心底給食を待望したのは持って来られなかった子らの方だったのであろうが、それでも父はいまでもちょっといじましげに振り返る。

「給食って、どうせ脱脂粉乳とかでしょう」

「でも一回食べてみたかったなあ」