晴天の霹靂

びっくりしました

おじいさんと、おばあさんと、知らないおばあさんと。

「姉ちゃんが泊まりに来るのでベッドを移動させたいんだが、明日か明後日でも手伝いに来てもらえないか」

というLINEが来る。

昨日まで一ヶ月もの長旅に出ていて帰宅したばかりの老父からだ。

なんだかよくわからんが、頼み事されるのも珍しいので「明日行く」と返事をする。

 

行くと、寝室に二台並んでいるうちの一台のベッドがすでに解体されているのに驚いた。

ああ、一人でやろうとしてたんだ。

しかし、構造上どうしても一人で部屋から出せるサイズにまでは小さくならないので仕方なく娘を呼んだわけだ。

普通はそこ初手から呼ぶだろ、74歳。

 

「明日、姉ちゃんが泊まりに来る」

「え、明日(急だな)?っていうかその姉ちゃんの家に昨日まで泊まってたんじゃないの」

「そう。一緒に連れて帰ってこようと思ったんだけど船が酔ってだめだっていうから、あとから一人で飛行機でくることになった」

「え、父はフェリーで帰ってきたの?」

「うん。サンフラワー。あれはダメだな。wi-fiも使えない」

わっはははは。私が大洗-苫小牧間を結ぶサンフラワー号に乗ってた学生の頃はマホなんかなかったから疑問にも思わなかったもんだが、近ごろの老人ときたら甘やかされて育っておる。

wifiのない船に文句言いながら一人で帰ってきた弟74歳、2日遅れで飛行機でおいかけてくる姉78歳。どっちも無敵だ。

 

しゃべりながら大まかに解体ずみのベッドを空いている部屋に運び入れ、ヘッドボードを組み立てる。

いったん全部のネジをゆるく止めて安定させてから、父は裏からレンチでナットを抑え、私にドライバーを持たせて「はい、思いっきりしめて」とやる。

なるほど、こうやってやるものか。いや、慣れたもんだねえ。

どんな家具を組み立てても必ずネジが一本ずつあまる人生を送ってきた私は、元水道屋だった父の迷いのない仕事ぶりに心底感心するのだ。

枠ができたら、すのこをおいてマットレスをのせる。

「お前の家は、布団か」

「うん」

「俺も昔はなんとも思わなかったが、60過ぎたらとにかくベッドになるぞ」

「えっ、そうなの……膝?」

「いや、全身」

全身!!!!

 

ベッドの移動はあっというまに終わり、こんなに早く終ると思わなかった、と何度も礼を言われ、冷凍麺で月見そばを作ってくれた。

食べながら父は計画を話す。

NTB町へ行ってくる」

「えっ」

父が高校を出るまで育った稚内にほど近い町である。

父が居た頃は汽車も通り、林業もさかえ、砂金も出るようなご機嫌な地方都市であったようだが、今となっては、それらはすべて失われてどこへ出しても恥ずかしくない立派な過疎地になっている。

ここから、たぶん300キロくらいあるだろう。

「あの小さい車で?」

「うん。ねえちゃんの同級生も行きたいって言ってるらしいから、その人も連れて三人で行ってくる」

「知ってる人?」

「いや知らないおばあさんだな」

なんだ、その面白すぎるロードムービー

「全員、これが最後の機会だからちょっと行ってくる。わははは」

死ぬ死ぬハラスメントで年下を困惑させるのは高齢者特権である。畜生ぐうの音もない。

 

世の中には立派な老人が居るものだ。

おじいさんとおばあさんと知らないおばあさんと三人で軽自動車に乗って300キロ彼方の、行っても何もない過疎地をわざわざ見に行くとは。

何もないぶん、星空だけはきれいだろう。

なんと偉大なる人生。