晴天の霹靂

びっくりしました

吉永小百合映画の秘密が解明した日

「来月は『ゴールデンカムイ』を観に行ってみないか」

と齢75の父に言ってみたのは、私なりのギャンブルだった。

 

原作は少年漫画であるため高齢者が喜ぶ内容である確率は低いものの、近頃昔話を積極的に聞き取りするようになり、父自身も子供の頃を思い出すのが楽しそうである。入植期の北海道を舞台にしたロードムービーゴールデンカムイ』を観に行くと、何か思い出の縁になるものが見つかるかもしれない。

よしんば内容がたいして気に入らなかったとしても、おそらく子どもの頃以来の映画館に行くことは、好奇心の強い父にとってはそれなりに楽しい経験になるだろうし、気に入ったら、映画鑑賞をあたらしい趣味にするのもいいではないか。

そんな諸々の企みを込めて、あえてのアジェンダだった。


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「ところで、来月は『ゴールデンカムイ』を観に行ってみないか?」

「漫画だろ。いいわ」

即答だった。

 

漫画だってことを知っていたのはちょっと感心したが、まさかノー躊躇からの直球拒絶が来るとは思ってなかったので、一瞬目を剝く。

「でも映画は、こないだ行ったぞ」

父はひょうひょうと続けた。なんと、ここ半世紀は映画館なんて行ってないだろうから私がシネコンという未知なる世界にいざなってやろうと思っていたところが、とっくに出し抜かれる。

「なっ、ななな、何を観たのであるか?」

「『こんにちは、母さん』おもしろかったぞ」

吉永小百合の?」

「そうそう」

大泉洋が息子の?」

「そうそう」

「ひーっ」

私は時代劇の切られ役くらい呼吸困難になる。


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だいたいが長い年月私は本当に不思議に思っていたのだ。毎年のように公開される吉永小百合主演の映画というのは一体誰が観ているのか。

言ってしまえば予告編でだいたい話の内容はわかるし、意外な展開はまず起こり得ないでろう、ハートがウォーミングして当たり障りのない、あの不思議な映画。

答えは簡単だった。団塊世代が観ていたのだ。

 

思えば自分自身が、紅白歌合戦あたりを見る時のことを考えればわかるのだが、40を過ぎたあたりからまずは脳みそが「知っているか知らないか」でいったん情報をより分けるようになる。新しい情報を入れるときに「知っている」が入っていると楽だからなのだが、年齢は上に行けば行くほど「知っている」の間口は狭くなってきてしまうのだ。

団塊にとっての吉永小百合という大きなシンボルの大切さは、私などにはとてもわかることではない。

 

空いた口をなかなか閉じない私に向かって父は言った。

「あれなら観てもいいな。役所広司の」

「『パーフェクトデイズ』?」

「そうそう」


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ヴィムベンダース監督によるトイレを清掃する役所広司には「それほど惹かれない」と思っていた。しかし、なるほど75歳と見ると新しい世界が開けてしまう可能性はわりとある。だが年内はもうちょっと予定取れないし、映画の方もいつ頃まで上映するかもわからない。

「あー。それはちょっとわからないので追って検討します」

「映画館もいいもんだな。こんな小さいテレビの画面で見てるよりも」

「あ、そう?そうね。『こんにちは、母さん』は一人で行ったの?」

「3人で。同級生と」

同級生ということは、75歳が三人並んで吉永小百合を観たということだ。うん、そうかそうか、参ったな。本当に私の知見なんてどれほど狭いことだろう。もう吉永小百合映画なんて一体誰が見てるのかなんて今後は言うまい。

北海道とか、入植時代とか、そういうんじゃなくて、父の歴史には小百合様が正解だったのだ。

 

しかしあれだ。今回のこの話の流れを総合するに、『北の零年』あたりがスクリーンに掛かっていればそれでまるっと済んだ話だったわけだ。吉永小百合世代と見る吉永小百合。そしてだいぶ雑な北海道開拓。全部入りだったのに惜しいことだ。

 

 

吉永小百合主演で静内の開拓を描いたこの作品は、吉永小百合渡辺謙が夫婦役であり、その小百合様に懸想するのが豊川悦司という恐るべき時空のねじれが起きている。

さらには開拓に苦労する小百合たち御一行様が困窮するととひっそり見守っていたアイヌが都合良く助けに来てくれ、挙げ句開拓が進んで住みづらくなるとどこへともなく自主的に姿も消してくれる。先住民をなんだか山奥に暮らす守護動物か何かのように描いているというところも無邪気すぎて恐るべき映画だ。

「誰が何のためにこんな映画つくったのか!」と一人でツッコミながら観ていたが、ある意味我々父娘に向けてつくってあるような気がしないでもない(その分余計に罪深いとは思う)