晴天の霹靂

びっくりしました

トマト娘の学費秘話

私は大学を出てから比較的父母と縁が薄い期間が長く、20年ぶりくらいに実家を訪れたときには母は骨壷に、父は老人になっていた。ほとんど知らぬもの同士として「骨壷と老人と私」ごっこをはじめたばかりの頃の印象深い話がある。

 

父が誰やら友人の家庭菜園からもらってきたというのでとれたてのトマトを振る舞ってくれたときだ。

私が、多少のお追従も兼ねて「わーい、トマト好き」という子どもらしいリアクションをとった(恐ろしいことだが40過ぎても子どもは子どもなのだ)すると間髪を入れず「うん、好きだったな」と父が答えたのだ。

こちらは自分の猿芝居も忘れて「なんでこの人そんなこと知ってんの?」と一瞬素に戻って見つめてしまう。 よく考えてみれば子どものころは同じ家で生活していたのだから、私がトマトをはじめとする水気の多い生の食べ物全般が異様に好きであることを知っていても不自然ではない。私が勝手に、我々親子はもっとよそよそしい関係で、何を食べていようが一切興味を持たれていないものだと思いこんでいただけだ。

「そんな事知ってるのか。っていうか20年以上経ってもそんなどうでもいい情報って忘れないものか」などと、やや恐れながら食べるトマトは思いの外味がしなかった。

 

それに匹敵するくらい驚いたのは、「骨壺囲んで団らんプレイ」から3年ほど経過して、根堀葉掘り過去の話を聞き取りを始めたごく最近のことだ。

なんとなく話の流れで、私が奨学金ふたつと授業料免除のお陰でほとんどタダで教育を受けた話題になったとき、父はただ「そうか?」と言ったのだ。

「トマトは覚えてるのに、大学の学費は覚えてないんかいっ!」と、再び私は唖然とする。

自分の力だけで勝手に大学に行くというのは、18歳の私にとっては当時相当なつっぱり方だと思いこんでいた。卒業してからも10年やそこらは自分を「努力の人」だと思って鼻にかけていた節さえある。一方その頃、父にとっては子の教育費が自分のポケットから出ようが、本人の背中から出ようが、奇跡の水瓶から湧いて出ようが、そもそも1ミリも興味がなかったのだと知り、最終的にささやかな鼻はへし折れる。よかったね。

ちょっと落ち着いて考えよう。

まだ比較的授業料の安い時代であったことも、自分のことばかり考えていられる安定した青年期を持ったことも、受験に関する必要な情報はだいたい手に入る都市部に住んでいたことも、借家の安い土地に住んでいたことも、勉強さえ頑張れば偉くなれるという階級上昇幻想が生きていた社会だったことも、教育に関して国がまだ比較的まともに取り組んでいたことも、結局、進路を決めた要素はぜんぶ偶然の布置であって個人的な努力の結果ではなかった。

そんなことより、「やけにトマト好きな子だったな」くらいの思い出のほうが人となりを描き出す生き生きしたエピソードなのは確かだ。

 

自分が人からどう思われたいかという欲望は往々にして頭でっかちでバカバカしく、そんなことより不本意でも人の目に映っている自分の方が良いとこ突いてるものである。つまり18年ほど観察した結果、私は「トマト娘」だということだ。

いやあ、あ、そう。そんなに学費のこととか興味なかったの。えー、びっくりしたわ。そうは言ってもやはりかなりの動揺を残しつつ、黙って勤勉に働いてさえいれば日進月歩でお上が生活を良くしてくれた時代の人のおおらかさに改めて瞠目もする。