晴天の霹靂

びっくりしました

プルースト、まさかの行き止まり。

やたらと長いので有名な小説を

「ためしに最後まで読もうとしてみたら、どれくらいの時間がかかって、その間にどれくらいの出来事がおこるんだろう」

という好奇心から読みはじめるとする。

読んでみると意外や意外、超面白くて(特に人の悪口を書くときに露骨にノリノリになるところがイイ)ぐいぐい読む。

ぐいぐい読んでいて、半分ちかくまで届いたあたりでこの小説最大の衝撃が、ついに訪るわけだ。

なんと、続きが、ないではないか。

 

Kindleリーダーで読んでいて、6巻を読み終わって、さて。

おなじみの「次の巻を購入」のボタンが出ない。

おやおや画面がおかしいぞ、と思ってAmazonのサイトへアクセスして検索しても続きがでない。

そうして私もハタと気づくのだ。

長大な小説というものは、書くにはそれは長い時間がかかる。もちろん読むにも長い時間がかかる。

そしてまさかの、翻訳するにも長い時間がかかるのではなかったか?

さよう、続きがまだこの世に存在していないのだ。

表紙の印象が似ている岩波文庫版の訳が終わっているので、てっきり光文社古典新訳文庫も終わってるものだと思い込んで読み始めてしまった。

 

「こういう事情では止むをえまい、岩波文庫で続きを読むか」

と思ったらこちらはこちらで電子書籍では出ていない。

まさか後半だけ紙の本で揃えるというのも妙なものではないか。

 

じゃあ他にKindleで読める完訳はないのかと探せば、なかなか古風な訳がひとつあり、ためしに少し読むと、ここまで読んできた訳の感じとぐっと雰囲気が違う。

ここから先は、全然違う訳者の手になるもので読み進めるか。

それとも続巻をのんびり待ちながら訳者の方と同じペースで人生を送るか。

読書の途中でこんなふうに行く手がふたつに分かれてしまったのは、たぶん初めての経験なのだ。

「小説も長いとこういうことが起こるのか、面白いな」

と思うのが一方。

それから、これほど潤沢な選択肢で『失われた時を求めて』の翻訳が読める日本の出版業界、なんだかんだ言ってもすごいな、と感心もする。

 

どうしようかなー、先も気になるけれど、もう一度ちょっと戻って読むのもいいかもしれない。

特に『スワンの恋』のあたり。

本来は全然タイプでもなんでもない女性に、なんとなく好きっぽい雰囲気盛り上げられたりしてるうちに本当にハマって身動きとれなくなっちゃった紳士スワンの、「とほほ感」をもう一回読みかえしたいような気もしている。

 

どうしようかなー。

プルーストの真ん中あたりに、ちょっと楽しい迷い道を発見する。