Kindle端末を手に入れたときにもっとも感動したのは
「今後は収納場所の心配なしに本を買えるのだっ」
ということではあったのだけど、使っていくうちに感動したことがもう一つある。
洋書を手に入れることと読むことが異様に簡単になったことだ。
洋書の入手のハードルが下がったのはAmazonの普及によってすでに達成されてはいたけれど、書いやすくなったからといってこちらの語学力がついていかない限り、「気軽に色々読む」という状態にまではなかなかならない。
それが、Kindle端末で買えば、分からない単語をタップするだけ電子辞書から語意が出てくるし、なんなら文章まるごとの翻訳も一瞬で出る。
「もはや机に向かわなくても読めるじゃん」
ということで、めでたく「寝転がって外国語の本をよむ」という夢のような状況が達成された。
前に翻訳で読んで「面白いことはわかるが、あまりちゃんと読めてない気がする」というぼんやりした感想を抱いた『三体』を、ここにきてあらためて英語版で読んでるわけだが、これがびっくりするくらい面白い。
私が日本語を理解するときに情緒に頼りすぎるせいだと思われるが
「どうもSFは日本語より英語で読むほうが理解できるっぽい」
とだいぶ前からうすうす思ってはいたのだ。
だからと言って「辞書をひきながら読む」となると、それはそれで気が散って全然話が理解できないため、長編を一冊読み通すほどの根気はなかなか出なかったのを、技術の進化によって知らぬ間に楽々とクリアされてしまっている。
オバマも読んだでおなじみのEngish Editionの『三体』はハードSFのわりにめっちゃリーダビリテイ高いし、単語が簡単でやたらと読みやすい。(それでも翻訳機能は使うけど)
こんな事言っては気取ってる人みたいだが、本当に日本語より英語で読む方が面白いではないか。
そんなことをしているうちに
「Kindle端末、英語以外の言語も対応してくれればいいのになあ」
ということも考えるようになる。
いろんな言語の本が、買うことは簡単だし、価格も安いのだ。
もはや本人の知能はあんまり関係なくて「扱いやすいテクノロジーが手に入るかどうか」ということにだけ読書経験の幅がかかってくるってことだ。
などと思っていたところで、それもすでに手にいれていたことにある日突然気いた。
漫画や図版の多い電子書籍を読むように持っているFireタブレットで、何の気なしにロシア語の本を開いてみたら、翻訳機能が普通に使えるようになっている。
kindleにロシア語の書籍は安くたくさんあるし、何だか知らないが無料のものも多い。
適当にダウンロードして、つまらなくて途中でやめても全然気にする必要がないくらい、選択肢が豊富なのだ。
表紙だけ見て気になったものをダウンロードし、誰の何だか全然わからない状態で読み始める、という近年あんまりない読書の仕方は、この情報過多の時代においてとっても楽しい。
英語以外の外国語は、せっかく機会あって学んだとしても、その後勉強を続けようにも書籍を手に入れるのも大変だし、辞書もバカみたいに高いし、そうこうするうちに基礎を忘れていくし、という状況を「もったいないよなあ」と思って過ごしてきたものだが、本当にわずか20年くらいの間にいろんなものがほとんど無料になって、びっくりしますね。
勿体ないから読もう読もう。
ジャケ買いで今読んでいる本。なんだかわからない。