晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

74歳のポテトサラダ

母の月命日には納骨塚に花を手向けに行く。

霊園でなんとなく父と落ち合って、二人ぽつねんと並んで般若心経納経フェスを開催するのだ。

LINEなどしていてもさほど話すこともない老人と熟女であるからして、月命日を言い訳に生存確認するのはたいへん便利なイベントであり、もしうまいこと故人の供養にでもなろうものならこんなにありがたい一石二鳥もそうあるものではない。

今月も元気そうだ。

 

般若心経のあと

「最近、You Tubeを見ながら水道のパッキンを替えましてね」

という話を、つれづれに元水道屋さんである父に振ってみる。

ハンドルの根本のパッキンと吐水口の根本のパッキンは替えられたが、本体の奥に入っている「コマパッキン」なるものがYou Tubeで見たのと形が違っていて替えられなかった。

「コマパッキンとはそんなに色々種類があるものなのかね」

娘としては精一杯相手のフィールドに寄るために危なっかしくわかりもしない話をしているのだが、水道を直してウン十年のキャリアのある父は、一切のてらいもハッタリもなく自信を持って言う。

「そんなパッキンあったか」

うそーん。

 

「で、直ったのか」

「たぶんナットの増し締めで直ったっぽい」

「ああ、そうか。パッキンなんて買わなくても裏返してまたつければいいんだぞ」

(わっはっは。私も途中からちょっとそんな気がしてたさ)

「電話でもくれれば教えたのに」

(わかってたけど身内だから面倒くさかったんだよな)

水漏れに関する蘊蓄でもちょっと語ってもらおうかと思っていた私の計画は頓挫した。

謎のコマパッキンは、ほとんどの場合は触らなくてもなおるようなパーツだったということだろうか。

 

よくわからない分野の話をぼんやり初めたせいで、すごい勢いで雲散霧消してしまった話の矛先に向かって、結果重視の元水道屋は励ますように言った。

「最近はYou Tube見ればなんでもできるな」

「うん、たいていのことはできる」

「うちに芋があったから、こないだYou Tube見てポテトサラダ作ったぞ」

「(驚愕!!)」

「動画見てこんなものかなーって、だいたい作ったらなんとなくできた」

「そんなことしてるのか……」

「結構やってる」

 

ポテトサラダなんて手数の多いもの、私もめったに作らないが、こんなに立派な74歳がいるとは驚愕である。

私としては、料理のおにいさんリュウジの動画で作ったのか、コウケンテツの動画で作ったのか、と気になったが、話がややこしくなりかねないので聞くのは控えた。

じゃがいもはレンジで火を通すのが洗い物も減ってぐっと楽だが、鍋で煮て粉吹かせたほうがしっとりしておいしくできるように思うがどうか、という話もしたいような気もしたが、それほどの時間もなかったのでやめておいた。

昔、母が作ったポテトサラダの上に必ずみかんの缶詰が載っていたのはどういうわけか、という話はむしろするべきだったが、あろうことかとっさに思い出せなかった。

 

じゃあまた来月、と父に別れて思う。

老境に入ってはじめてポテトサラダを作ったから立派である、というよりも、あんなにマメで好奇心も生活力もある人が70年以上もポテトサラダの作り方を知らないまま来てしまったことのほうが、むしろ構造的な事故じゃないか。

もっと早くにポテトサラダを作る人にもなれたのに、誰もその可能性を考えてみなかったのは、全方位的にもったいない話だったのだろう。

 

娘は謎のパッキンのついた水道を直し、父はポテトサラダの作り方を覚えた。

亡き母が取り持つ、月に一度の読経つき自由研究発表会は続く。