晴天の霹靂

びっくりしました

『生きるとか死ぬとか父親とか』さらにうちの父親とか。

 美容室へいったら、もう何年も懇意にしてもらってるおとぼけ美容師(推定50歳前後・美女)が

「三週間前に突然母が亡くなったんですよ」

という話をしはじめた。

そういうスナック感覚とも言い難い話を美容師さん側からふるのも結構変わってるような気はするが、そういう人柄、そういう関係、そういう美容室なので引越し後も遠路はるばる通っている。

なんでも数日前に実家(高速道路で三時間くらい)に帰って、白髪染めなどしてあげてきたばかりだったらしい。

一切病院にもかかってなかったような健康な人だったが、その数日後の朝、布団の上で亡くなっていたのだ、と言った。

 

「うちも去年の夏だったんですよ。ガンはあったそうですが急なことだったみたいで」

と、私もついついしゃべる。

「男親が先にいって、女親はとりあえず無条件で平均寿命までは生きるものだと思い込んでるからびっくりしますよねえ」

「ほんとうにそうなんですよねえ」

実家を離れてからの暮らしの方がすでに長く、別に守らねばならぬものがある生活者同士なれば感傷的な話にはならないものだ。

「私は20年会ってなかったので、いまだ悲しいという気持ちには一度もなってないんです」

といえば、向こうも

「仕事でずっとお世話になってた人のお葬式にいったときは『あんた愛人と間違われるからそろそろ泣くのやめなさい』とたしなめられたほど号泣したのに、親の葬式は全然泣かない」

という話をする。

 

実際のところ私は、同性の親については「自分が生きてる限り母親も半分くらいは生きていると言っても過言ではない」と思ってる節が、どうやらあるのだ。

個体としての死がピンとこないほど払拭し難い遺伝子の近さだからこそ、20年も音信不通、という事態も発生したような気もする。

そこへ行くと遺伝子の近さはさほどかわらないだろうに、うってかわって父親が他人である度合いたるや、これまたすごい。

それこそ、20年も合わずにいるとお互い目を見張るほどの知らない人なのであり、40女を捕まえて「お前、身長いくつなんだ。大きくなったな」などと素っ頓狂な会話を次から次に繰り出されたりもする。

 

だから我々の話題は「母を失った悲しみ」などではなく「父という老齢男やもめが爆誕した戸惑い」ということになる。

まったくこんな事態は予想もしなかったのでびっくりするわねえ。

「だけど」と切りたての髪で家へ帰ってきてから、まだ私は考えるのだ。

どうしてそんなに思いもかけなかったのか。

 

ひとつの家庭、ひとつの共同体が「ふつう」であるように見えるとき、それはたぶん特定の誰かに恒常的に負担を強いているということだ。

個々のいびつさは全部飲み込んで、一方で自分の欲望や個としての可能性などないものとして扱うことで、全体として「ふつう」の範囲からはみ出ないように調整している人がいる。

だから「ふつう」のものは「ふつう」に見えているのだ。

私が育った家庭は、四人家族一男一女パート勤務主婦の「ふつうの家族」だった。

本当に言うのが苦しいことではあるけれど、娘の目に母は向上心も可能性ももたない、生気に欠けた愚痴っぽいだけの人であるように写った。

母はあの家で、自分を何でも飲み込む緩衝材として扱うことで「ふつうの家庭」を維持していた。

亡くなってから気付いたことだ。

あまりにも自然だったので、父も兄も私も、誰も気づかなかったし、団塊の世代が築いた家庭というものは、身辺に観察できた限りではどこもだいたいそんな感じだったのだ。

 

だからだ。

だから、わたしたちは「母は先に死なないもの」と思っているのではないか。

母は、あまりにも私たちにとって「何もかも気づかないうちに円滑に調停してくれる人」でありすぎたから、寿命だってきっとうまい具合にバランスとってやっておいてくれるはずだと。

 

父は会うたびに言う。

「後に残されたほうは本当に貧乏くじだ。いいことなんかひとつもない」

それは彼独特の冗談でもあり、本音でもある。

軽口を叩きながらも、それほどしょぼくれてるわけでもなく友達をつくって結構楽しそうに生きてくれているところは、ちょいと尊敬さえもする。

しかし、その軽口の中にこそ、我々残留組がやらねばならぬことがあるかもしれない。

そのいわゆる「貧乏くじ」を、今までは一体誰が引き続けていたのか?

先に消えてしまった「母」という不在を取り巻きながら、いびつさを取り戻した家族が続いていく。

この順番でなかったら、もしかしたら本当に、我々は何も知らずにすませてしまったかもしれなかった。 

 

 

 

 

 どれくらいの距離をとったら適切なのかがさっぱりわからない「20年ぶりに会った他人みたいな父」と、月命日ごとになんとなく納骨塚で待ち合わせする習慣を私が作ったのは、エッセイ『生きるとか死ぬとか父親とか』がヒントだ。

あまりにも他人すぎるので「老化とか心配だからたまに様子見にくるよ」みたいなことはお互いどうもやりにくいが、「ちょいちょいお参りにくれば母さんも喜ぶんじゃないか」のニュアンスにすると生存確認がやりやすい。

墓参り(うちの場合は墓ではないが)ってのは、本当に生きているものにとって良く機能してくれるシステムである。 

 

 


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エッセイ集『生きるとか死ぬとか父親とか』は4月からドラマ化されて始まった。

吉田羊さんになると原作者のもつ規格外のエネルギーが全部洗い流されてしまうではないのっ!なんてことを思いつつ、やはり興味津々で見ている。