晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

『フランケンシュタイン』~魂の伴侶がミア・ゴスという驚愕

ギレルモ・デル・トロの新作『フランケンシュタイン』観てきました。

Netflixの配信前に劇場で先行公開しているものです。最近このタイプの公開方式が多いですが、予算も潤沢で企画があまり迷走せずにしっかり制作されたものを観せてくれるので本当にありがたいことです。


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お話は、北極を目指す野心的冒険家が氷に閉ざされて立ち往生しているところで、何者かに追われている学者風の男を見かける。瀕死の男を救出したところ、フランケンシュタインと名乗る科学者は「生命を創造した」という驚くべき話を語り始める。

……というような話で、原作に相当に忠実でした。

 

いい話だなあ、と思って家に帰って原作を読み直したりしましたが、何度読んでも本当にいいですね。クリーチャーがたどる心の旅は大変に切ないながら、新鮮な眼差しこの世を知っていく過程の喜びの描写が素晴らしい。

自らの探究心に責任を持てなかった男であるフランケンシュタインも、北極の果てまで全生命を賭して逃げるという形で自らの所業と強制的に向き合う羽目になるわけで、こんなに見事な内的葛藤のエピソード化ってなかなかないですね。メアリー・シェリー19歳恐ろしや。

 

そして、この途方もなく孤独なクリーチャーを愛し、またその後様々なホラー映画の中で”粗野のアイコン”としてウガウガ君になってしまったクリーチャーのことも愛しているのであろうデル・トロの映像のおもちゃ箱の世界、たまらないです。

ここまで美しいフランケンシュタインを観せてくれたからには特に言うことはない


また、フランケンシュタインのフィアンセのエリザベスと、クリーチャーが求めた”自分と同形の伴侶”を同一人物にするという映画的整理が大変巧みだった上に、その人物が、ホラー界のアイドル、ミア・ゴスなのもたまらないです。

ミア・ゴスがミア・ゴス顔のままで出てくる

「ゴシックっぽいなよっとした無垢の美女に変身」などは一切することなく、いつもどおり眉毛もほとんどない無愛想な顔でやけに背も高く、死と異形の生命に強く惹かれるマドンナです。最高。

 

などなど、原作にかなり近づけて作られていることは相当に嬉しかったものの、小説の語りの構造をそのままやると、映画では長く感じるというのもまた避けがたいのだな、というのも実感しました。

 

原作小説では少しずつ読者を異常な世界に引き込むべく、まずは野心に溢れたよくわからない若造の手紙から始まり、その若造がたまたま救出したフランケンシュタインの話に入り、その中でフランケンシュタインの被造物であるクリーチャーの一人称の語りにも入っていく、というかなり手の込んだ入れ子構造をとっています。どれも美しいうえに、すばらしく効果的なので「このまま全部映画で観たい!」とは思うんです。

一方で、映画における「異常な世界への没入の感覚」って、セットとか、役者の芝居とか、出来事とかでいざなっていくものなので、生真面目に”語りの入れ子構造”をやっていくと「面白いけど映画のリズム感としては、ちょっと長いかも?」ともなってしまう。

この辺は、映画と小説の差として非常に興味深いなと思いました。

 

それにしてもいいもの観ました。

 

ボリス・カーロフが有名すぎてこのウガウガ君の名前がフランケンシュタインだと思われがちという問題もあるものの、少女と花の違いがわからずに、親しくなった子を溺死させてしまう稀代の名場面は、原作には存在しない、映画だからできた素晴らしい表現でした。

 


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