晴天の霹靂

びっくりしました

『父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書』 ~汚言について回想する

今読んでいる大変おもしろい本。

まったく覚えられない安っぽいタイトルはどうなんだって話はさておき。近頃の新刊は「斎藤幸平氏絶賛」の帯が付きすぎなんじゃないかって話もさておき。中身は大変に面白い。

 

父と幼い息子が哲学対話をするのだから当然スリリングになるのだけど、中でもしみじみと感心したのは、悪態は「すべての子どもに必要なスキル」である、として、幼い我が子と悪態つく練習をしてみたりする章である。

その幼少期、私も欲しかったのだ。

 

読みながら思い出していたのは、自分が子どもの頃、母に言われたこんなセリフだ。

「痴漢にあったら恥ずかしがってないで大きい声で『やめてください』って言いなさいよ」

今となっては、それを言った母も、言われていた自分もずいぶん気の毒な存在に思える。なんだって他者の人格を勝手に使って良い公共物みたいに扱う輩に向かって「やめてください」なんぞと丁寧に依頼しなくてはならんと思うのか。

何をどう考えても相手がこちらを一人格として扱ってきてない以上、そういう場面で使用可能な言葉は「てめえぶっ殺すぞ」くらいしかありえないところなのだが、普通に「女らしく」育てられてしまった私や母では、そういうボキャブラリーは逆さに振っても一滴も出てくることはなかったのだ。

使用可能な言語の中でもっとも強い言葉が「やめてください」だったというのは、この社会をサバイブしていく上で本当に切ないことだ。明らかにお願いとかしてる場合じゃないだろ。ぶっ殺すぞ。

 

仮に頭の中に「そういう言葉があるらしい」という知識があったとしても、人生の中で一度も使ったことのない言葉が、危険かもしれない変質者と突然対峙させられたときにスムーズに口から出てくることはまず絶対にない。

おかげで、私は常に痴漢にはやられっぱなしだし、母だってたぶん「やめてください」ですら言えたことなかったろうと私は思っている。決定的に、誰かを拒絶する経験値が不足しているのだ。

たとえ自分がモノとして扱われていても、丁寧に相手の理性に訴えかけて自主的にやめてくれるように依頼するしか対抗の方法はないという言語コードは信じがたいほど自己肯定感を低くする。

 

で、ここから急に根拠の薄いいささか危うい思い込みについて滔々と話をはじめようと思う。マジやべえ。

思うに、母はちょっと汚言症気味だった。当然私は汚言症なんて言葉すら知らなかったので、単に下品な人なのだと感じて大変不快だった。

それが自分も大人になってくるにつれ、ストレス状況下で勝手に汚言が口をついて出てくる症状がちらほら出始めたときに「母のあれってわざとじゃなかったんだ!」と気づくことになる。

母娘二代、汚言症傾向(ふたりとも決定的に社会生活を破綻させるレベルの症状は出てなかったので診断受けたりしたことはないものの、ちょっとネットで調べたりしても心当たりありすぎるくらいの印象ではある)

 

まったく専門知識に基づかない印象論を垂れ流すのは気がひけるところなんだけど、でもやっぱり実感としては

「我々母娘はもうちょっとカジュアルに汚い言葉でストレス発散する習慣を持っていた良かったのではないか」

ということは思わざるを得ないのだ。

使用可能とされた言葉と、我々を取り巻く世界との乖離を思うにつけ、この社会で生きるにはもっとちゃんと発見しておくべき感情があったのだ。感情は言葉によって発見されるし、押し込められたものは感情でも言葉でもコントロールが難しくなる。

 

もう、今となっては「てめえぶっ殺すぞ」を習得するのはすごく荷が重いのだけど、汚い言葉っていいもんだな、と思い始めた最近ではお気に入りの罵倒語がちゃんとある。

Netflix版『三体』のエピソード5で初めて三体世界を見せられた地球防衛イケオジが咄嗟に”Jesus fuck!”と叫んだ場面である。

言いっぷりといいタイミングといい、本当に素晴らしい悪罵だったので「これなら今から習得可能ではないか」という気になった。

Netflix版『三体』エピソード5 地球防衛イケオジ

何事も習得に年齢制限はないだろうということで、なんらかの音声チックが出たタイミングでいちいち「……おっと。ジーザスファック!」と言い直すトレーニングを初めてみた(私は何事も真面目なのだ)

口に出してみるとファックっていう音の響きは腔内で何かを蹴飛ばしてるような切れの良さがあって広く普及したのも納得の機能的な汚言と言える。

結構楽しいし、すっきりもする。5月の青空の下で言うとさらに爽快だ。

 

ちなみに件の哲学書の中には「サノバマザーファッキンビッチ」というサンプルも入っているが、こちらはちょっと長いので悪罵入門としては手軽ではないと判断した。最初は覚えやすいところからはじめないとね。

 

 

今週のお題「名作」