唐突に「若くて綺麗なのに白髪染めないの」と言われ、「おお、それな!久しぶりに聞いたな」と思った。
染めるのをやめて根本がスカンク模様になっていた頃はまあまあ言われたが、近頃はあまり聞かなくなっていたのだ。
(言うまでもなく「若くて綺麗」のところはお世辞というか、汚染水を水で薄めて基準値以下にしようする心づくしの枕詞にすぎず、もちろん私は45歳であって45歳にしか見えない。誰だってそうだ)
はい、ジェントルマン。こちとら言われる前から知っているんです、いつでも誰からでもそういうことを言われうることを。
なにしろ物心ついてから「もっと痩せたらかわいいのに」「もっと髪伸ばしたらかわいいのに」「化粧したらかわいいのに」「もっと足出したらかわいいのに」と、常に誰かの美的水準に合わせるために身体を加工せよというメッセージを途切れなく受け続けながら生きてきた身の上。
髪の色が変わったら「その色じゃ駄目なのに」と言われるのはどう考えても当然の流れだ。
ところで、私の母は3年前になくなったのだが、最後の20年くらいはまったく会っていなかったため、写真を見せられたときは本当に誰だか分からなかった。
父に「この頭真っ白な人誰?」と聞いたら「お前の親だ」と言われて、はっはーん、となったものだ。
つまり30年後の自分じゃないか。
私は7歳くらいになるまで毛抜きで白髪を抜かされていた。
グルーミングの猿よろしく一本ずつ頭の毛を抜かせながら母は
「だんだんババア、だんだんババア」という陰惨この上ない鼻歌を歌ったものだ。
考えてみればあの頃、彼女はまだ30代だったはずで、バブル経済の端っこでブルーカラーの父の給料もきちんと毎年上がっていたに違いない。
それでも、彼女が自分の身なりに金を使うことは決して無く、いつも適当なショートカットで寄る年波に任せて髪はただ白くなっていった。
そして幼い娘に白髪を抜かせながら、女が年をとることがどれほどわびしいかを陰々滅々と歌って聞かせたのである。
私は「だんだんババア」を聞きながら、母のそういう身なりの構わなさを、ある種の愚鈍さのように感じていた。
綺麗にするという才覚がない、おしゃれをするという知恵がない、そして努力せず現状に文句だけ言う存在。
「こういうオバサンにはなりたくないもんだ」と内心思っていたことを、母がなくなった今となっては、永遠に彼女に侘び続けるしかない。
ありとあらゆる個人的な欲を放棄して家族を最上位に置くこと。
終わりのない無償のケア労働を続けて当然の存在としてみなされること。
「パートのおばさん」などと、まともな仕事ができない属性であるかのような呼ばれ方で個を奪われたうえで、永遠に自活できない最低賃金で雇われること。
常に最低限の安物の服を着古して、すでに性的な存在ではないものとして社会の目線から姿を消すこと。
母は社会から「かくあれ」と言われたメッセージの通りに真剣に生きていた。
あの頃、母が月に一度美容室に髪を染めに行き、シーズンごとに服を一枚買ったとして、我が家の屋台骨に何が起こったのかと考えてみるに、いくら団地住まいの庶民だってさすがにそれくらいのことはできたんじゃないかと思う。
自分がパートで稼いだお金もあったはずだ。
ただもう、母は溺れてしまってその元気が出なかったのだ。
40歳を前にして「クソ平和で幸せな家庭」などに閉じ込められてどこからも助けはこないまま、死ぬまで自尊心の回復などないのだと、あの人は思っていたのではないか。
そうして呪文めいた鼻歌で彼女は娘にも呪いをかけた。
18歳で家を出て以降、仲が悪いわけでもないのに死ぬまでほぼ母と会わなかった理由は自分でもなんだかよくわからないのだけど、思い返せば、あるいはささやかな解呪だったのかもしれない。
そうして今、一世代分の時間を経て私に伝えられる
「白髪を隠して、年を取っていることを十分に恥ずかしがるならば、ファッカブルな存在として社会においてやってもいい」
という他者からのメッセージは、「だんだんババア」と歌った母の娘にとって何であるべきなのか。
うふふふふふ、若くて美しいと言っていただいたところ大変恐縮ではありますが、良く見てください。私は年を取っているんですよ。怖いでしょう?