晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

『エイジズムを乗り越える 自分と人を年齢で差別しないために』~読んでいたらうっかり誕生日

誕生日です。「それで、いくつになるんだっけ」と思って電卓アプリ出して2023から1977を引き算してみたりしまして、どうやら46しゃい。

本当にたまたまではあるけれど、すごく面白い本を読んでいて、こういうの読んでる途中で偶然誕生日が来るってのも、めでたいことです。

あんまり内容が面白かったので、そもそもどういう動機で読み始めたのが思い出せなくなっているのではありますが、年齢に関してはそれはもう思うところありまくりのエブリディ。

 

私の近況において特筆すべきは、数年前から美容室で髪を染めるのをやめて自毛を伸ばしはじめ、今年は堂々グレイヘアが完成しているということです。これが、「単に毛髪の色が変わった」という以上に、自分と社会の関係においていろんなことが面白い経験でした。言うなれば、自分が年を取りつつある存在だということをクローゼットから出せるのが本当に清々しいのです。年々歳々私の髪は白くなっていくのだよ、喰らえっ(誰に)

 

そうは言っても現代社会、年をとることは個人的な失敗であり、努力の欠如、知識の欠如、センスの欠如によってのみ老化はもたらされるのだ、と脅しにくるメッセージというのは本当に多く、日々「あれこれ食え」だ「炭酸で洗え」だ「ヘッドマッサージ機を買え」だ「アレしたらおばさん」「コレしないとおばさん」というクソ脅迫広告(失礼)の洪水に見舞われています。ついでに「染めないの?」と面と向かって言う無関係な人も、ほとんど居ないけど一人二人くらいは居る。

そいうものにまみれて気分がよろしくないときはなんとなく自分で見てもパッとしないものですが、普通の状態で鏡を見るに、どう考えても白い髪というのは大変美しいものです。

「醜いから隠さなきゃいけないものだというメッセージばかり毎日投げつけられてくるけど、これってどう見ても綺麗だけどなあ」と思い続けるうちに、しまいには自分でも見慣れ、もはやなんとも思わない上にむやみに楽しくなってくる。最終的には「慣れ」の問題だったという話でした。

 

単に老化のスティグマとしてだけ見るのでなければ、そもそも白って綺麗な色だし、私にとっては46年かけてやっとこの色になったもの。来年の誕生日にはもっとシルバーに近い色になってるはずだと思うとそれも愉快なことなのです。

そんな頭髪を陽気に振り立てて『エイジズムを乗り越える』を読んでいると、

「ははーん、なんとなく私もそうじゃないかと思っていたよ。実は年って取れば取るほど面白い可能性は十分あるんじゃないか。例の騒がしいスティグマさえなんとかすれば」

と大変な説得力を感じます。まず単純に考えて、思い出と経験の蓄積が増えるだけでも普通は面白いよねえ。

 

そんなわけで偶然にも、46歳の誕生日直前に未来に希望が増えるような本を読んでいたのもめでたいことでありました。