このところ、たまたま高級プリンをいただく機会が重なって、近頃のプリンには色々と驚かされた。
プリンがやたら高級化し始めてからも20年やそこらは経つように思うが、プッチンプリンあたりから始まった「私のプリン史」を振り返れば、ああずいぶん遠くまで来たものだとスプーンを持つ手も止まる。
「プリンなのにシュークリームみたいな味がする!」
「プリンなのにアイスの味がする!」
「プリンなのに生クリームの味がする!」
などなど、いちいち驚かされる。
こんなエクストリームプリンが私がごとき大衆の下流域にまで流れてくるようになったとは、ずいぶんな長旅だったことだろう。
立て続けに高級プリンを食べる機会に恵まれてしまって、もう家で自分で牛乳と卵を濾して作った薄いプリンを作って食べる気にはならないかもしれないなあ、なんて、豪華な空き容器をいじましく見ながら思ったものである。
思ったものではあるが、やっぱり「プリンを作る」という工程が好きで、気づいたらまた何の気なし作っていた。
温めた牛乳100cc、卵一個、砂糖大さじ1。
一度濾して耐熱容器に入れたら、熱湯を入れたフライパンに入れ蓋してごく弱火で5分。火を止めて40分。
取り出して粗熱が取れたら表面に小さじ1の砂糖をまぶしてクッキングバーナーで真っ黒になるまで焦がす。
冷蔵庫で冷やせば、カラメル苦めのプリンの完成。
久しぶりに自分の手作りを食べて
「プリンなのにプリンの味がして美味しい!」
と、正直思ったもんである。
プリンが食べたいときは、プリンの味がするプリンが美味しい。
契約農場の平飼い卵も使っておらず、濃厚生クリームも作っておらず、ノンホモ牛乳も使っておらず。
なんとなく家にあるもので作っていくうちに、できる範囲での工夫がちょっとずつ積み重なった「平凡のうちの最善を尽くしたプリン」
「あれ?やっぱり平凡、尊いぞ」
と思った瞬間である。
(もちろんこの事実によって「うっそ、プリンでこんなことできるの?」という驚きを秘めた高級お遣いプリンの喜びが毀損されるものではない)
まったく映えない普通のご家庭プリン。
見た目が汚いのはバーナーで砂糖を焼くときに卵の表面がちょっと焦げるせいなんであるが、焦げるまで苦くするのが好みなのでこれでいいのだ。
このままフライパンで蒸して、バーナーで焼いて、冷蔵庫に入れられる上に洗いやすい耐熱ガラスキャニスター。
便利すぎるせいで、ほぼ無自覚にプリンを作ってしまう。