晴天の霹靂

びっくりしました

熟女、まつ毛パーマをかける

「本当にフサフサですねえ」

と、美容師さんは私のまつ毛に何かの液体をペタペタ塗りながら何度目かの嘆息をした。

 

私のまつ毛は人と比べて顕著に多くて長いので

「まつ毛パーマをかけたら愉快なことになるであろう」

と、少し前から美容師さんに言われていたのである。

決して何かを押し売りするタイプの人ではないので、一ヶ月ほどで取れちゃうし、施術に一時間くらいかかるなんて話は先にされている。

「でも最近ちょっと気分変えたいなんていうお客さんが多いし、薬液もよくなってきてるんで、まつ毛パーマを初めてみようかと思うんだけど、メニューにあったらやってみたいですか?」

と聞かれたのが数ヶ月前のことだった。

「そんなこと考えてみたこともなかったです」

と答えたら

「それ、自毛が多くて長いからですよ」

と、その時はじめて言われたのだ。

 

そうなのか。私はまつ毛が潤沢なのか、全然知らなかった。

少なかったりまばらだったりする人はパーマしたりエクステしたりビューラーしたりマスカラしたり、とにかく必死の努力なのだそうだが、

本当に短いと、ロットにかからなくてパーマの施術ができないこともあるらしい。

今までそういうことを一切知らずにやってこれたのは、どうやらその点に関しては恵まれているということだったのだ。

ありがたい話である。

 

歳を取ると、顔面は若い頃に比べて引き算される要素ばかりで構成されるような気になる。

しみやらしわやらくすみやら、輪郭が消えるやら、何かの拍子にスマホのインラインカメラに写った顔がマグショットになるやら、折に触れての大惨事だ。

そうか、そんな中ひっそりとまつ毛には恵まれていたのか。

「それだけふさふさだったらだいぶ雰囲気変わると思うんで、もしやってみたくなったら」

と言われたので

「じゃあ、次やります」

と答えた。

 

もともと古典的な和風の美貌表現であるところの

「伏し目がちになると顔にまつ毛の影がおちる」

というような描写への憧憬も多分にあるので、西洋人形みたいにまつ毛がクルンクルンしてるほうが可愛いという意識は、私にはあまりないのだ。

生えてきたままの角度でいいんじゃないかなと思ってはいるのだけど、それはそれとして今さら顔の中に加齢以外の新しい何かを発見してくれる人がいて、それを生かす方法があるって言ってくれるもんなら、それはいい話である。

もともと、若い頃からずっと長所も短所もたくさんあって構成されてきたはずの顔なのだ。

ある時点からもっぱら加齢しか視界に入らなくなることこそ盲目的だ。

 

「あははは。お人形みたいになった。ひーっ、かわいいかわいい」

チマチマと根気のいる施術を終えて私のまつ毛から何か剥がしながら、美容師さんは自分の施術に大いにウケている。

手鏡を見せてもらう。

「うわっ。……なんか増えませんか?」

「私も思いました。増えて見えますね。」

「へー、おもしろーい」

果たしてクリンクリンまつ毛が可愛いのかどうかはよくわからないながら、顔面の中に知らなかった地平を目の当たりにするのは新鮮だ。

 

「気に入ったら次はもっと根本からギンギンにカールかけることもできますから」

「わかりました、わかりました。これでちょっと一ヶ月暮らしてみます。いっひっひっひ」

そうは言っても、施術者と本人以外には、見ても普段とどこが違うのかよくわからない程度の変化なのではあろう。

しかし。

「実は私には潤沢なまつ毛ってものがあったのだ」

と思いながら歩く帰り道は楽しい。

風の中のすばる、アラの中のまつ毛、すばらしきかな四十代。