晴天の霹靂

びっくりしました

百人一首の影に黒猫

 

NHKでときどきやってる『ネコメンタリー』という番組に、ピーター・マクミランさんが出ていた。

www.nhk.jp

 

最初「誰だっけ?」と思ったのだが、よく考えてみたら今年の年初からだいたい100日くらいかけて百人一首を毎日一首ずつ読んでいたときに参照した中の一冊、『英語で読む百人一首』の著者だったのだ。

そうか、猫好きの詩人だったのか。

なかなかに変わったお方で、見た目はヨーロッパ映画に出てくる大学教授みたいな雰囲気なのだけど、呆れるほど立派な竹林のある京都の古民家に住んでおり4匹もいる猫が全部黒猫。

保護猫だというから選んで集めたのでないに違いないが、そんなに黒ばっかり集まってしまって傍目からは全然個体の区別がつかないところがすでにちょっとおもしろい。

 

その立派な竹林の中に立って百人一首の中の歌を英語で歌い上げるのを

「なるほど、あの百人一首はこうやって歌われるべく訳されていたのか」

なんて、字面だけで読んでいたときにはさっぱりわからなかっただけに大変興味深く見る。

ところが、歌の途中でうしろから唐突ににょきっと黒猫が出てきて背に乗る。こっちは「あんたどこから出てきたの?」とうろたえるし、ピーターさんは気にせず終わりまで歌うし、黒猫はご満悦だし、かくて歌とは自由なものである。

なんちゅう風景だ。

ネコメンタリー『ピーター・マクミランとローズとムーンとペンとミニ』

面白いのはネコメンタリー史上でも珍しいくらいに猫をべたべたに褒めちぎりながら暮らしていて「マイ・トレジャー」「クレバーボーイ」「プリンセス」「リトル・ガール」と、やっぱり溺愛ボキャブラリーは全部英語なんである。

そうだよなあ、日本語だとそんなに身近なものに対して敬意を払いつつ愛情を込める言葉のバリエーションってないものなあ、と思う。

 

どうしても「身内」に愛を示すにはちょっと軽んじる感じの言い方にならざるを得ないのが、猫を飼ってると不便なのだ。せいぜいが赤ちゃん言葉にして幼児化した愛を示すくらい。

あの猫溺愛カメラマン岩合光昭さんだって聞いているとだいたい「いい子だねえ」くらいのボキャブラリーで親密な猫との関係を乗り切っている。

私は気づけば、猫に向かって「かわいいちゃん」としきりに呼びかけるようになっており、たまに我に返ってそんな日本語ってないよな、とは思うものの、どうひねり出してもふさわしい言葉がないのだ。みんな語彙不足の中でどうやって猫をかわいがっているのか。

 

ピーターさんはたいへんおもしろい人で、なんと番組中に5匹目の保護猫が来てしまう。いい大人なのに玄関から走って猫を迎えにいく姿も堪らないものがあるのだけど、まさかの5匹目も黒猫で、ついに五目並べみたいになっているのも愉快なのだ。出会いは運命だからそういうことも起こるよねえ。

 

 

youtube.com

そんなわけでうちのかわいいちゃんもよろしくお願いします。とくに方向性も考えないままに地味に動画の数だけ増やしてみてます。

 

 

お題「猫の好きな部分(おでこ、肉球など)」