晴天の霹靂

びっくりしました

『新時代に生きる「道徳哲学」』~私的オリンピック読書総括

オリンピックが終わったとたん急激に涼しくなって、すっかりマラソンでも競歩でも快適にできるであろう気温になった。

わずか数日の差で100年に一度の熱波に遭遇してしまうあたりが今回の五輪が「何か持ってた」所以だったのかもしれない、

 

 さて、オリンピック中はKindleで目についた「オリンピック関連本」を次々読んでいくという競技を一人で開催していたのだけど、終わった今、何を読もうか、ということだ。

結構面白がって読んでいたとは言え、利権の話とか覇権争いの話にも疲れてきたのでここらでひとつ形而上学

『コロナ時代の精神のワクチン』というタイトルでNHKで番組になっていたものである。

 

たとえば、「 1」 から「 10」 の スケール が ある と し ましょ う。「 10」 が ウイルス を 恐れ て 家 に 引き こもる 立場、「 1」 が どんな 対策 も 必要 ない と 思う 立場 だ と し たら、 私 は「 7」 でしょ う ね。   個人的 には、 自分 の 命 や 一緒 に 暮らす 者 たち の 健康 について、 必ずしも 危険 は 感じ て い ませ ん。 でも 感染 拡大 の 観点 から、 ある 種 の 倫理 観 が 問わ れ て い ます。 自分 が 感染 拡大 の きっかけ と なる リスク は 減らし たい と 考える の です。 自分 が 誰 かに 感染 さ せ たら、 相手 が 知り合い か 否 かに かかわら ず 害 を 与え て しまい ます からね。 この よう な 考え方 で リスク 評価 を 行っ て い ます。

丸山 俊一; NHK「欲望の時代の哲学」制作班. マルクス・ガブリエル 新時代に生きる「道徳哲学」 (NHK出版新書) (Kindle の位置No.126-131). 株式会社 NHK出版. Kindle 版.

 

オリンピックムーブメントについて何が辛かったかといって開催派か中止派かの二元論になって石を投げあってた風景だった。

しかし、何事に対しても人の意見は、たしかにスケールになっているに決まっている。

私が読んだオリンピック本も「1」から「10」のスケールで考えれば色々あった。

 

まずは、何があっても絶対やるべきという立場が「10」だろうか。

 『オリンピック・マネー』 ~観ても読んでも興味深い東京五輪 - 晴天の霹靂 (hatenablog.com)

 

 

やりたいけど社会の理解がないとうまくいくものではないとする立場が「7」くらいか。

 『コロナとオリンピック』 ~ざまあみろを超えてゆけ - 晴天の霹靂 (hatenablog.com)

 

現代の商業化した五輪は開催してもいいことないよ、という暴露本は「4」くらい。

 『オリンピック秘史』~わたしが払って、あなたが儲ける - 晴天の霹靂 (hatenablog.com)

 

 今回の東京五輪はこんなにおかしなことばかりあるのに本当にやっちゃうの、というのが「2」。 

『オリンピック・マネー』 ~観ても読んでも興味深い東京五輪 - 晴天の霹靂 (hatenablog.com)

 

 

とにかく嫌いだからやめようぜ、という「1」。

時々飛び込む例のアレ 男子板飛び込み - 晴天の霹靂 (hatenablog.com) 

 

私自身は、わりとどちらでも良かったのだけど、オリンピック・ムーブメントを見ているうちにだんだんうんざりしてきて「これはとんだお荷物を」と思い始めたクチなので「3」くらいだろうか。

やってもいいけどやるならプロセスをちゃんとやろう。

そして毎回資料をなくすのもそろそろやめよう。

 

個々人のリスク評価の中で色々な立場があったはずのオリンピックも、二項対立の泥仕合の様相を呈しながら閉幕した。

閉幕後も人々の分断の他に、感染症のさらなる急拡大という問題が続いている。

これもオリンピックのせいで感染爆発しているとする「10」から、管理されてたから感染とは関係はないとする「1」まで、評価段階はたくさんあるだろうが、それはさておき、まず助けられる人の命にまず取り組まねばならないのだろう。

 

蔓延防止法のもと、先週末にマラソン競歩が行われた当地札幌では本日12日の重症者数が8床だった。

新型コロナウイルス感染症の市内発生状況/札幌市 (city.sapporo.jp)

市の指標では重症者用病床15床からステージ2相当なので、増加傾向の中、予断を許さない状況、といったところなのだろうか。

shihyou0227.pdf (city.sapporo.jp)

 

それぞれがいろんなイメージを持っていた「オリンピック」という幻想が一瞬現実の上で重なりあって、また個々に切り離されていった。

もともと、意味は不安定だったのだ。

目に見えないウィルスによるパンデミックが、そこに巻き込まれている人達のネットワークの複雑さを、一気に可視化した。

「ワクチン万能」でも「感動をありがとう」でも「五輪は儲かる」でも、どれも個々には現実を捉え損なっていた。

では、複雑な状況の中で多くの物事を評価するにはどうしたらいいのか。

 

相手の視点を感情を含めて考慮することで、自分の視点を広げること。

それが倫理的な進歩であって、このパンデミックはまさしくそのチャンスなのだ、と陽気なガブリエルは言う。

 

マルクス・ガブリエルの言うことはいつも明快でわかりそうなわりに「実はあんまりわからんな」と思ってたものだが、今回はじめてなんだかぐっとわかりやすいような気がした。

目に見えないのに人を操るウイルスと、オリンピックという巨大な共同幻想のおかげだ。

 

カミュの『ペスト』の中には、

「抽象と闘うためには、多少抽象に似なければならない」

というセリフがある。

こちらもはじめて読んだときから「はて、なんのことやら」と思っていたのだけど、もしかしたらこういうことだったんだろうか。

思考することについて思考するべきだ、倫理的な進歩のために。