今年は母の初盆である。
一人暮らしの父は、母が亡くなってから一年以上にわたって、のべつに緊急事態やらマンボウやらが出ている中でまともに人とも会えない状況が続いているようだ。
故人の思い出ばなしひとつする機会もろくに持てないままだろう。
「厄介な世情ではあるが、初盆であるからせめて線香くらいは届けにいこうか」
とメッセージをしてみた。
父はワクチンの二度の接種を終わらせているが、私はまだ一度も受けられていない。
こうなってしまうと、個人のリスク計算の問題だ。
デルタ株が入ってきた頃から、マスク着用しても感染するのではないかという報道があったし、最近はアメリカCDCからワクチン接種後も感染するという報道があった。
そうして市内のデルタ株による感染は増えていく一方だ。
デルタ株 水ぼうそう並みの感染力 米CDC「マスク着用が必須」
【速報】北海道 347人感染 "2日ぶり"300人超…札幌初の20代男性死亡判明 デルタ株最多確認(北海道ニュースUHB) - Yahoo!ニュース
肺がんの疑いで経過観察を続けている一人暮らしの父にとって、判断ミスは命取りに違いない。
しかし「身近な故人を追悼できない」という状況も、残された人の命を削る可能性は十分にあって、これほど長きに渡ってその気持ちを無視していいとも思えない。
ワクチン接種によって高齢者の重症化率がだいぶ下がったことも事実ではある。
もはやリスクと生活をてんびんにかけるのは個人の仕事だ。
「厄介な世情ではあるが、初盆であるから良ければせめて線香くらいは届けにいこうか」
いささか腰の引けた娘の打診には
「今回はやめておこう」
という返事がすぐにくる。
そういうところは、まったく立派な人だと思う。
しかるべく情報を収集し、「生き延びる方向」に向かって状況分析をして揺らぐことがない。
昨日オリンピックのマラソン競技が行われた市内では、あちこちに人だかりができている様子がたくさん報道された。
当たり前だ。私だって通りすがりの路上を世界最速の人類が猛烈に走っていたら絶対に立ち止まって見るだろう。
「感染予防のために観戦自粛をお願いします」というプラカードを持って人混みの中に呆然と立ちつくす羽目になったボランティアの人だって、全然悪くない。
これらが感染拡大中のこの時期においてどう影響したのかは、まさにお盆頃から数字に反映されてくるのだろう。
一方、マラソン競技が終わったあとで昨夜行われたオリンピック閉会式である。
和太鼓の演奏と緑の衣装の人が踊ったシーンが、バッハが言っていた「亡くなった全ての人の追悼の時間」だったということを、共同通信の解説をもってはじめて知った。
全ての人の追悼ということは具体的には誰のための追悼でもないので、誰の心に届かなくても、それはやっぱり追悼なのだろうか。
家でひとりで酒を飲みながら見たであろう父が
「初盆も一人で過ごすことになったが、オリンピックのおかげで『全ての人の追悼の時間』を過ごせたからよかったなあ」
と思った可能性は、ほぼないと踏んでいる。
rokusuke7korobi.hatenablog.com
(もちろん追悼のダンスをした演者さんの表現力について言ってるのではない。バッハがわざわざ広島市に「原爆の日の黙祷の代替として全ての人の追悼の時間を設ける予定だ」と伝えた文脈に鑑みて、意図をわからなくしすぎなのに驚いたという意味だ)