図らずも今月はオリンピック映画月間であるらしいということで、せっかくだから見ておくことにした、1964年市川崑監督の『東京オリンピック』
膨大な予算をかけてわざわざ残してあるだけあって、やっぱり振り返って観ると随所面白いもんですね。
まず、単純にびっくりするのがオリンピックが問答無用で「見たこともないようなすごい」イベントだったということ。
ナレーションによれば
「日本にこんなにたくさんの外国のお客さんが来たのは初めてのことだ」
ということで、実際、自分たちとは違う姿、違う文化の人を珍しがって老若男女がほんとに走って見に来るのですね。さすが江戸っ子。
2020オリンピック開催前は
「前のオリンピックも開催直前まで盛り上がらなかったけど、やってみたらすごかったんだから(ゆえに今回もそうなるだろう)」
というような言説を結構聞きましたが、この記録映画から察するに、たぶん当時の世論はオリンピックに否定的なニュアンスだったのじゃなくて、どういうことをやるのかあまり想像ついてなかったんじゃないか、という気もします。
本当に新鮮な驚きに満ちたリアクションで、みんな楽しそう。
わー、すげー。わー、はやーい。わー、でかーい。というので、ちゃんとみんな口開けて見とれています。
本当に素朴に「運動会のすごく大きめのやつ」であることもなかなか感動的です。
三段跳びの選手は「ワルシャワの自動車修理士です」とか、砲丸投げの選手は「メルボルンの印刷会社の会計係です」とか、マラソン選手は「イギリスの高校で英語と歴史を教えています」とか。
選手の背景に関するナレーションがいちいちつくたびに、背後に膨大な個人史があったうえで、色々あってここに集まってきた人たち、ということに想像が及んで非常に楽しい。
選手のユニフォームにも一切企業のロゴも入っておらず、しばしばアディダスのマークが映る程度で、みんな普通のものを普通に着て競技をしているのも、今の風景に比べるとやっぱりのびのびして見えるものです。
ずいぶんとオリンピックの風景も変わったものだ。
せっかくなので公開中の『東京2020オリンピック SIDE:A』とちょっとだけ関係あったシーンの話。
『東京2020オリンピック SIDE:A』の中には、JOCの山下泰裕氏が、1964東京大会の柔道でオランダのへーシング選手に日本人が負けたことが「柔道界ではたいへんな屈辱であった」という回想をするシーンがあります。
そこまでは理解できたのですが、勝利をよろこんで畳に駆け込んでこようとする関係者をへーシング選手が止めた、というシーンをもって
「日本は試合にも負け、心でも負けた。これは取り返せねばならぬ」
という話の運びになっていたのが、私にはどうもよくわからなかったのです。
なぜ「心でも負けた」という話になるのか、そもそもそういうのは勝ち負けの話なのか、というのがピンとこなかった上に、「心で負けた」のを取り返そうと頑張った東京2020でそれは取り返せたのかとうかも特に言及されてなかったので、結局何の話だかあんまりわからないままに終わってしまったたいへん不思議なシーンでした。
そのへーシング戦は市川崑の記録映画でも結構尺を取って残されており、当時非常に印象深い試合だったことが伺えます。
勝利直後、視線と右手で「入ってくるな」と合図を送るへーシングもしっかり映っていますが、その後ふたりとも居住まいを正してきちんと挨拶をしたあとでお互いの健闘を称え合うシーンで終わっており
「別に心でも負けた試合のようには見えなかったが、あの話はなんだったんだ」
と改めて思ったのでありました。
本当に、どういう話だったのか?
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