晴天の霹靂

びっくりしました

『コロナとオリンピック』 ~ざまあみろを超えてゆけ

 

 今年の札幌は97年ぶりと言われる猛暑で、年齢に不足のない私にしたところで経験したことがない暑さ、死にそう。

北海道の一般家庭のエアコン普及率はおよそ四割だそうだ。

頭にアイスノンをあてがって本を読む以外の活動が一切不可能となる時間帯が、どうやっても毎日必ず数時間ずつあり、幸か不幸か、オリンピック関連読書がはかどっている。

Kindleで「オリンピック」と検索して目についた順に読んできたが、ぶっちぎりで読み応えがあった本は『コロナとオリンピック』だった。

 

言うもはばかられるのでここだけの話なのだが、私は

「オリンピック、できるだけひどいことにならないかなー」

と思ってる部分が実は結構ある。

この点については本当に反省している。すいません。

 

「自分だけ儲けようとしている人たちの皮算用はことごとく外れてしまえばいいし、

大きな大会のオペレーションがする実力が日本にはないことも、

ジェンダーやらダイバーシティの理解が何十年分も立ち遅れていることも

実用に耐える製品を作るIT技術力がないことが、完膚なきまでに国外にバレて、

あの老人たちが「ある」と思い込んでる日本の優位性なんて最初からなかったことに気づけばいい。外圧がなければ我々は変われないのだから」

というような恨み節を、実は根っこに持っており、ニュースで「バブル方式機能してない」とか「プレーブックを誰も読んでない」とか見ると、ちょっとうれしい。

っていうか、気取るのをやめて率直に言うと「ざまあみろ」と思う。

だけどそういう態度が全然良いことじゃないというのは、さすがに大人なので気づいてはいるのだ。

我ながら、なぜこんな大人気ないことになっているのか。

 

二 〇 二 〇 年末 から ウイルス の 感染 が 拡大 し て いっ た、 いわゆる 第三 波 の 影響 を 受け、 新聞 各社 による 世論調査 では、 夏 の 大会 開催 が 難しい と する 人 の 割合 は 八 割 にも のぼっ た。 そんな 中、「 ウイルス が どんな かたち で あっ ても 開催 する」 という メッセージ を 森 は 出し 続け た。 冷静 に 考えれ ば、 一部 の 反対 論 や 批判 が 向け られ て い た に せよ、 コロナ 禍 に あっ て オリンピック は 被害 に あっ た 側 で ある。 ところが 森 の 発言 は 感染 を 拡大 し ても 強行 する イベント として 批判 さ れる よう になり、 オリンピック を 通じ た さまざま な 利権 を 代表 し て いる と 解釈 さ れ ながら、 スポーツ や オリンピック の 価値 を 毀損 し 始め て いっ た ので ある。

石坂 友司. コロナとオリンピック: 日本社会に残る課題 (Kindle の位置No.3012-3017). 人文書院. Kindle 版.

 

そういうことなのだ。

言わせてもらえば、「最初に向こうがバーカ、バーカって言ってきたんだもん」というところはある。

大会を実行する側は人の意見は聞かない、説明もしないというスタンスを取りながら、どういうわけかオリンピックの価値を毀損する発言だけは次々にし続けていたのだ。

 

「開催しないということのお考えを聞いてみたいくらいだ」(2021年1月5日自民党二階幹事長)
「淡々と予定通り、進めていくという以外にお答えする方法はない」(1月12日森喜朗組織委員会会長)
新型コロナウイルスがどういう形だろうと必ずやる」(森喜朗
「(ボランティア辞退が相次いだことをうけて)また新たなボランティアを募集する、追加するということにならざるを得ない」(二階俊博

 

ほかにも「オリンピッグ」もあるし、「女性は話が長い」もあるし、「アルマゲドンでも来ない限りやる」もあるし「私は主催者ではない」とか「反日的ではないかと批判されている人たちが反対している」もある。

ずっとずっと、必要な説明のほうはなしに、やろうとしているものの醜さばかり聞かされてきたのだ。

「そんなに人に言えない理由で頑なにやりたいということは、よっぽど儲かるんだろうな」

とこちらは受け取ったわけだ。

 

必要な人が建設的な発言をしないから、擁護する人は擁護する人で「マスコミによるネガキャン」「印象操作」というような論拠が目立つようになる。

陰謀論VS感情論では、対話なんて無理だ。

その場その場で適切な人による適切な説明があれば、それを巡ってSNSレベルでもはるかにちゃんとした議論はできたはずではなかったか。

 

感染症がこのような状況下でも大会主催者が社会から敵視されない関係を築くことは十分可能だったと本書は述べる。

「それは現実的に直面している中止の可能性を見据えながら、感染状況による実施可能な大会の形態をシュミレートし、丁寧に説明を行っていくこと」

チャンスは、あちこちにあったのだ。

こんなに分断しないオリンピックは十分ありえた。

その大切なチャンスは、目の前でぽろぽろぽろぽろとこぼれ落ち続け、結果的に今日の、人前でおいそれと話題にするのがはばかられるほど政治的な踏み絵として機能するオリンピックが出来上がってしまった。

  

逆説的 な 書き方 に なる が、 オリンピック の 開催 が コロナ 禍 で 宙づり に なっ て はじめ て、 人びと は オリンピック を 開催 する こと の 意義 を 真剣 に 考え 始め た とは 言え ない だろ う か。

石坂 友司. コロナとオリンピック: 日本社会に残る課題 (Kindle の位置No.3060-3062). 人文書院. Kindle 版.

 

放っておけば2030年のオリンピックが招致されてしまいかねない都市に、私は暮らしている。

来ないほうが嬉しい。

来ないほうが嬉しいけど、来たとしても、今回よりはずっとうまくやる必要がある。

まずは、「ざまあみろ」と思うよりもうちょっとマシなものの見方を学ばなくてはならいのだ、私自身が。