晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

『エルピス―希望、あるいは災い―』 ~東電OL殺人事件おじさんが開く突破口

師走も押し迫り、今シーズン私のイチオシドラマ『エルピス』も終わってしまった。


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あんまりとんでもない話なので後半はドラマの配信を待ちつつ、エンドロールでズラズラと並ぶ参考文献からKindleで手に入るものを次々読んでいた日々。

9冊挙げられているなかで、読んだのはそのうち以下の三冊。

 

 

 

どれも、未解決にしておくわけにもいかないという理由で「この人なら大丈夫だろう」とあたりをつけた人を見繕って犯人に仕立ててしまったというとんでもない冤罪事件で、この社会に対する絶望感を感じつつも、ついつい先を読まされる力のあるルポである。

 

とはいえ、この中に一冊どうにも飲み込めない本が入っている。

Kindleで購入するときから、そもそも抵抗感いっぱいで仕方なかったのが佐野眞一『東電OL殺人事件』である。

1997年という時代の限界を考慮するとしても、そもそものタイトルからして被害者の属性で偏見を煽って商業利用していこうとする下衆な性差別意識しか感じられないではないか。

 

「まったく読み気にならないねえ」

とは思ったのだのだが、それでも購入したのは『エルピス』が脚本もプロデューサーも女性であるのを知っていたせいで、逆に興味が湧いたからである。

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このドラマの中ではジャーナリズムの世界に広く蔓延するセクハラ、パワハラ体質にも繰り返し言及されている。

制作陣が『東電OL殺人事件』の中に腐臭のように漂っている女性蔑視に気づいてないわけはなく、気づいたうえで、あえて人目に触れるべく毎週クレジットしていたにちがいない。

そういうことなら、プロデューサーの佐野亜裕美さんと脚本家の渡辺あやさんを信じて読みましょう、ということで我慢して読んでみた。

 

佐野眞一氏が、不法滞在ということで足元を見られ罪を着せられた被疑者の冤罪を晴らしたのは本当に立派な仕事だと思う。

しかし生きている人の汚名を削ぐ仕事の一方で、被害者の行為を最初から最後まで「堕落、堕落」と決めつけることで死者の尊厳をためらいなく踏み続けてもいる。

「これほどの不快感を我慢しながら読まねばならない理由はなんだ?」

と、そればかり気になってあまり冤罪事件が頭に入ってこない苦行だった。

 

ところでエルピスにはセクハラ・パワハラ老害おじさん(小物)が出てくる。

人としてはほぼ問題しかないオールドボーイであるが、ドラマの後半はこの小物おじさんがなんだかいきなりおかしな方向でキレることによってちょっとカンフル剤的な突破口が開かれるのだ。

看過し難い差別意識と社会的正義感が同じ箱に入ってることなど、実際いくらでもある。

「なるほど、この人は人格化した『東電OL殺人事件』だな」

見ていると役者さんの持つへにゃへにゃした魅力のおかげで、『東電OL殺人事件』も、ちょっと飲み込めるような気はした。

配慮に欠けた人間が、その場に大事な正義を発揮する瞬間もある。希望、あるいは災い。

 

しかしお前はともかく反省しろ。

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