驚くほど世界がカーネーションだらけになっている週末である。
「母の日って何を贈ったらいいんだろう」
とカーネーションを横目に、一緒にいた友人に聞かれた。
「よく知らないけど我々より上の世代はハズキルーペとか興味津々らしいよ」
というざっくりした無責任又聞き情報(from美容室)を伝えると
「うーん、ハズキルーペかあ。うーん」
と唸っている。
贈る側にとってちょっとロマンに欠けるという気持ちはよくわかる。
舘ひろしがついてくるならぐっとロマンも増量するだろうが、それだと身体に悪そうだ。
ものすごく面白かった『ジュリアン・バトラー真実の生涯』を読み終わってしまった。
日本人が日本語で書く小説にこんな極彩色の世界観があるとは思わなかった。
「僕かわいいでしょ?なんで怒るの?」
というセリフはあんまり素晴らしいのでマグカップとかに印刷して身近に置いておきたい。
一見、単に奔放で周囲に迷惑かけ通しのようにも見えるジュリアン・バトラーのセレブリティとスキャンダルを読むだけでも十分すぎる楽しみがあるが、
20世紀文学批評、とりわけゲイ文学批評としても非常に面白く、今までうっかり気づかずに読んできてしまったアレやらコレやらを数々読み返したくなる。
そしてとりわけプルーストである。
プルーストは、読んだことがある。
「スワン家の方へ」は結構読んだ。たぶん7割くらいは読んでいる。いや、5割だったかもしれない。
しかしその程度のところまではわりと何度か読んでいる。
分量でビビらされた先入観よりだいぶおもしろいと毎回思ったものだが、何しろ長いので終わる前に興味が他へ移ってしまうのだ。
語り手は金持ちで病弱かもしれないが読み手は金も時間もたいしてない。
人はいつプルーストを最後まで読むのか。
自分の世界観の中に取り込んでおくのなら老眼になる前に一度読み通しておかないと、プルーストなしのまま終わりそうな予感がする。
別にプルーストなしでも人生それほど損するってこともないだろうが、しかしあればそのほうがずっと退屈しないのは確かだろう。
普通に生活したり、他の本を読んだりしながらプルーストも読み続けていくと、完結までどれくらいの時間がかかるものかということにもちょっと興味が湧く。
数ヶ月なのか、数年なのか。
どうせKindleだから、かさばるということもないし、もはや「日記代わりに読む」という読み方もありかなあ、などと考える。
顔を洗うように、歯磨きするようにプルースト。老眼前のかけこみプルースト。
悪くないかもしれない。
小説 は 問い だ と 言わ れる が、 プルースト は 答え を 出し て い た。 社交界 や 恋人 に 幻滅 し て き た 病身 の 語り手 は 無為 に 過ごす のを やめ、 残り 時間 の 全て を 自ら の 小説 に 捧げる こと を 決意 する。 それ は 諦念 では なく、 輝かしい 船出 だ。『 見出さ れ た 時』 の 半分 以上 を 費やし て、 語り手 は 遂に 辿り 着い た 自分 の 文学 を 語り、 小説 の 方法論 にも 人 の 生 と その 希望 について も 微 に 入り 細 を 穿ち、 答え を 見出す。
「ところで全部で何冊あるんだっけ?」と思って確認したら岩波文庫で14冊。集英社文庫で13冊。書きすぎている時点で、もはやちょっとおもしろい。