地元産のプルーンが旬でずいぶん安くなってるのをひとパック買ってきた。
重さを計って同量の砂糖を加えて果実酒用のガラス瓶に入れて、たっぷり表面まで浸るだけの酢を入れる。
香りの良さでは梅にかなわないかもしれないが、これはこれでとにかくもサワードリンクができるはずだ。
元はと言えば実家からもらってきた梅を漬け込んだドリンク酢が美味いのが発端だ。
父がおもむろに「少し持っていくか」などと言いながらガラッと押し入れを開けると、目に飛び込んできたのは様々のサイズの瓶になんだかよくわからない物が色々漬け込まれて並んでいる、山賊のアジトみたいな風景であった。
瓶の中に入っているのはコーヒー焼酎と梅サワーらしい。
コーヒー焼酎は晩酌用、梅サワーは料理用だ。
「めんつゆとまぜてドレッシングにしたり、焼肉につけたり、朝はヨーグルトにかけたり、何にでも使ってるんだ」
と、おそらくは母からそのまま受け売りであろうことを自慢げに言う。
実は私は知ってるのだ。
私が子どものころもすでに梅サワーは作られてはいたが、それほど大量に作ってはいなかった貴重品なので大部分は母がこっそり水で割って飲んでおり、たまに我々子どももご相伴にあずかっていたので、味は見当がつく。
そうかそうか、いつの間にか堂々と、大量に、なぜか押し入れの下段で、作るようになっていたのか。
「2:1:1なんだよ。梅がひとパックで2キロ、酢が500mlで2本、砂糖が一袋で1キロ」
へえ、よく覚えてるなあ、と思って瓶に貼ってある日付を見ると今年の7月末の仕込み、母が亡くなる2日前である。
すでに入院中であり、おそらくは意志の疎通も取れなくなっていた時期ではないか。
「ええっ、こんな入院中に何やってたんですか」
わざと明るめに笑うと
「作り方を覚えておこうと思って」
と答えた。
私は酸っぱいものも梅の味もあんまり好きだから、せっかくもらってきてもあっと言う間に使い切ってしまう。
まさかそうやって老親が一年がかりでつけたものをすっかり攫ってきてしまうわけにもいかないから、自分でもうちょっと手軽に漬けることにしたのだ。
もう梅の実の手に入る季節ではないが、旬の安い果物でも、見切り品でそのまま食べるにはちょっと難のある果物でも、片端からなんでも漬けてみれば楽しいだろう。
毎日軽く揺すって色の出具合やら砂糖の溶け具合を観察できるのは面白いものだ。
瓶の中でプルーンが浮き沈みしてるのを観ながら、あの父が一人でどんなふうにして梅を漬けていたのを考える。
病院からの帰り道に寄ったスーパーでたまたま手頃な実を見つけて買って帰ったのだろうか。
その時点で母はレシピを伝えられるほどの元気があったのだろうか。
それともあらかじめ習っていて、黄色い梅が出回るのをを待っていたのか。
あるいは家に帰ってくることに一縷の望みをかけて、また来年も二人で食べるために慌ててレシピをググったのか。
考えればどんな状況だったのか不思議なのだが、なんとなく遠慮があって聞けなかった。
だけど、聞いた方がよかったのかもしれない。
誰かに話したいけれど話せないことが、一人でたまってやしないだろうか。
一年経って実を取り出すころ、その時側にいたら、今度はきっと聞いてみることにしよう。
思えば果実を漬けるというのは、未来に希望を持っている人のすることだ。