晴天の霹靂

びっくりしました

この世で手間のかかること

虫を殺すために2、3日水に漬ける
一か月天日で乾燥させる
42度のお湯で一週間保温する
皮をむく
10日ほど流水にさらす
あく抜き用の灰を用意する
灰と実を2:1の割合でまぜる
42度程度のお湯に入れて攪拌する作業を一週間ほど毎日行う
ph11程度になったら灰を洗い流す
もち米と合わせて蒸してついて餅にする

 

何かと言えばyoutubeで調べた「栃餅の作り方」である。

全行程およそ2か月もかけてこれほどコテンパンにあく抜きするとなると、あくも抜けるが味も抜けるんじゃないか、というのが食べたことのない人間の素朴な疑問である。

人はどうしてここまでの苦労をして栃の実を食べるのか。

 

花屋さんで鬼灯を買って実家を訪ねたら、骨壺の前に見たことのない木の実がひとつそなえてあったのだ。

栗の実のような形だが、どんぐりのように帽子をかぶっていた跡がある。

ああら父君これはなんであるか、と尋ねるに「知らないのか。栃の実である」と答え。

さすればこれは食えるのか、と尋ねれば、「そういえば栃餅ってあるな」とおぼつかない。

限られた地域で限られた食べ方をされるにとどまっているらしいという事情を考えれば、これはきっと食べるのにものすごく大変な手間がかかるのであろうなと問うに、答えて曰く「そうであろう」。

 

彼岸過ぎの気持ちよい秋晴れの天気なので一緒に散歩に出た。

良く歩く習性のあるらしい父によって早速「ここが栃の木並木だ」と案内される。

なるほど道の両側はずらっと立派な街路樹があり、几帳面な店舗の前の道路は綺麗に掃除してあるが、放任されてるところではたくさんの実が歩道にも車道にも落ちて潰れている。

ヤシの実のようにぶ厚い果肉が四つに割れ、中から黒々と光る立派な実が顔を出しているのを見て、どういうわけか70代と40代無言でせっせと拾い集めてしまう。

食べられるかどうかという問題は二の次にして、木の実というのは何か魅力的に見えるようにできているらしい。

 

パークゴルフ場を見て、桜並木を見て、豊平川の鮭の遡上具合を確認して、栃の実を拾って帰ったら、近所とはいえ私でも結構疲れるくらい歩いてしまった。

お供え用のフルーツ皿のキウイの隣に父は、たべられもしない栃の実をざらざらと入れる。

なんだか面白いことをする老人だし、このように面白いことをする老夫婦として暮らしていた様子がしのばれる。

 

「じゃあ次は納骨に行くとき連絡するわ」

帰ろうとする私に父は言う。

もうちょっと小まめに顔を見に来た方がいいだろうと思っていたので気勢をそがれた。

「来週、花をかえにこようと思ってたんだけど」

「まあ、だいじょうぶだろう」

軽く断られたのもちょっと面白い。

 

実際、距離感をうまくつかめていない急ごしらえの父娘プレイで、異世代間交流は興味深いがお互いそれなりに疲れもするのだ。

こちとら急に現れておいて、「どうだ度々訪ねてくるのが嬉しいだろう」の立場ではもちろんない。

 

帰宅して栃の実で猫を遊ばせながら調べてみれば、栃餅づくりは普通の賃貸住宅都市生活者がどう工夫しても手に負えるような工程ではない。

予想はしていたもののそれ以上だったことに「うーむ、これほどの手間をかけてまで食べるか」と唸る。

食べるものなら他にもある現代になってなおどうしてここまでするかと言えば、一番大切なことが「手間がかからないこと」じゃないからだよな。

手間のかかるものは疲れるからこそおもしろいってところもある。

 

猫がいまいち栃の実に反応を示さなかった様子を写真にとってLINEで送ったら、早速絵文字つきで「生意気な!」と返信がきた。

黒猫にはとんだトバッチリだ。

 

 

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栃の実の食えば食えるが食うに食えない