1月も半ばを過ぎて雪深くなり、歩道も日に日に狭くなる中を図書館へ歩いていく。
ずいぶん鳥の声が騒がしいな、と見上げるとナナカマドの木で鈴なりのシジュウカラが一斉におしゃべりをしているのだ。
ナナカマドの真っ赤な実は冬もそのまま木に残り、そこに雪がこんもり積もると赤と白のぼんぼりのような形が鮮やかで印象的になる。
いかにも幸せそうに目立つ丸い木の実だけど、不思議なことに小鳥たちはいよいよ食べ物がなくなるこの季節までナナカマドの実を食べずにいる。
よっぽど飢えないと食べられないほどまずいものか、それとも木のうえで発酵させないと分解できない毒でも入ってるのか、小鳥の都合はちょいとわからないが、いずれにしろ彼らにはナナカマドたるもの何らかの苦労の種なのではないか。
赤い実の脇で並んでおしゃべりする最高級ダウンに着膨れた小鳥の群れに、何か微笑ましいものを見る気分になる反面、それがあまりにも楽観的で申し訳ないような気分でもあり、さて少し悩んだままてくてくと足元の悪い雪道を歩いていく。
ギリシア神話の本を数冊借りて帰る。
近頃、ちょっと気になっているのだ。
ゴルゴーンは三姉妹なのに、なぜメデューサだけが首を切られたのか。
メデューサの最後の時、姉さん二人は何をしてたのか。
不死身の姉二人は今もたまに末の妹のことを思い出しながらおしゃべりなどしているのか。
たくさん本を抱えて帰ってくれば、帰り道にもうシジュウカラたちはいない。
またどこかのナナカマドで、彼らもおしゃべりをしているか。
とりわけ寒い日が続くので、みなみな消息が気にかかる。