youtubeで「えっ、こんなものタダで見ていいの」というものをボロボロ見つけることがますます多い昨今ですが、ノーザン・バレエの『1984』を観ました。
FULL BALLET: Northern Ballet's 1984
『1984』って面白いけど読みにくいよな、と読むたびに思ってたものですが、こんな表現方法もあるのか、とかなり惹きつけられました。
主人公のウインストン・スミスはお役人ですから、登場人物は皆お役人の恰好をしてるんです。
ブルーというかグレーというか、陰気な色のシャツを着てを着て、スラックスを履き、ネクタイまでしめてカチンコチンと踊っています。
「あんなに動きづらいはずの服装で、常人では曲がらない領域まで関節を曲げられるなんてどんなストレッチ素材のコスチュームなのだろう」
などと、初心者らしい些事に気を取られながら、最初は見ているわけです。
ものすごく汗ジミの目立つはずの色のシャツなのに誰も体に汗をかいていないことに気が付きます。
汗を吸わない特殊な素材なのであろうか。でもそれでは身体の熱を放出できなくてダンサーが危険ではないか。一体どういう具合になってるのか。
しかし、ウインストンの顔にだけ滝のような汗が出ているではないですか。
「やっぱり大変なんだ、バレエダンサーは大変なんだ」
なんてことを考えつつ、自由と思考を奪われた社会で人々が規則に従った行動だけを画一的に繰り返す鉛色の世界(でも妙に魅力的)を凝視します。
押し込められたような集団の、汗も出ない身体表現が窮屈そうであればあるほど、中盤からのウインストンとジュリアが恋愛によって全体主義の支配から逸脱するという反逆の解放感がすごいのです。
二人は密会すると、鉛色のお役所コスチュームをパッと脱ぎます。
そこから濡れ場ということになるんですが、露出されている肌にやけに訴えかけてくる熱量があるなと思ったら、汗で光っているのです。
綺麗に光るので照明でそう見えるようにしてあるんじゃないか、と思わないでもないですが
「やっぱ暑かったんだ!そして今やっと涼しい!」
というような、もうまるで自分のことにように自由に汗をかく解放感の気持ちよさ。
汗の臨在感すごい。
結局、物語上はウインストンとジュリアのカップルは権力に逆らったことによってただひどい目に合うだけの敗北者ではあるんですが、じゃあどうしてそもそもあの「自由の反逆」をやめられなかったか。
「止まらなかったんだ、あの汗のようにっ!」
というと、なんかこじつけで見てたような口ぶりになりますが、でも実際そう思いました。
それくらい身体の存在感、臨在感がすごかったし、「1984」をそういうふうに手に取れるような生々しさとして読んだことがなかったから非常に面白かったです。
なんか、汗ばっかり見てた人みたいになっちゃったけど。まあ、そういうことにはなる。
どう考えても原作読んでる人にじゃないとわけ分からないであろう一切説明のない舞台化をやってしまえるのもすごい。あんな密度の高いディストピア小説を、セリフなし。