靴べらを買ったのだ。
きっかけは、今年は冬用のブーツを買い替えたからであり、まあ私としては少々張り込んで選んだ冬靴だ。
おろしたては実際足のどこにも負担のかからないうえに値段なりにシルエットもしゃきっとして久々に気持ちのよいものだった。
手入れをすれば長持ちするだろうから大事に履こう。
……と思った、その「大事」とは何を指すのか、ということが問題である。
とりあえず靴クリームは新しくした。
ボロ布と、獣毛ブラシとクリーナーはすでに持ってる。
あとは、美しい言葉をかけてモーツアルトを聞かせて、その他は……「靴べら」なんじゃないか?
思い起こせばこの夏、実家で靴べらを見かけて衝撃を受けたのだ。
「靴べらって、本当に使うんだっ」
ということである。
歯医者の待合室とか、靴屋さんの試着コーナーとかにおいてあることは以前から薄々気づいていたが、誰が使うのかがよくわからなかった。
まさか、自分の親だったのだ。
しかも見ればその青いプラスチックの靴べらには確実に見覚えがあり、要するに私が子供の頃から何十年も代替わりすることなく使われ続けていたに違いないのだ。
なにかオブジェ的な意味でおいてあるのかと思っていたが、実用上の用途があったとは。
……靴べらって、履きやすいだけでなく、もしかして靴のかかとを傷めないのではないのか?
と、その時私は、自分の買ったばかりの大切な靴と、実家で靴べらが連綿と使われて続けている衝撃をふたつ重ね合わせて思った。
おそるおそる靴屋さんを覗いてみれば、会計近くのコーナーに靴べらというものはちゃんと売っており、実家でみたようなプラスチック製の、取り立てて面白くもないものが300円だった。
たった300円で、ほとんど空気のように誰からも意識されないまま何十年も使えてしまうようなものであるか、恐るべし靴べら。
試しに買って使ってみれば、明らかに靴にかかる負担は減っているのがかかとを通してわかり、その感触は昨日までよりちゃんとした人間になれたような心持ちでとても気持ちがいい。
みんなは知っているのだろうか。
私以外の人はみな、靴べらはそこに飾りとしてあるのではなくて、使うと結構いいものであることを、とっくに知ってるんだろうか。
案外人々が気づいていないのであれば、これはぜひ教えてまわりたい素晴らしい発見だと思うのだけど、万が一、だいたいみんな知ってるのであれば、もちろん言えば言うほど素っ頓狂だ。
でも300円で「昨日までよりちゃんとした人間になる機会」を手に入れることができるっていうことを教えてあげないのは人類に対する反逆でさえあるような気もする。
私の知らないところで今、実際どういう関係性にあるんだろう、人類と靴べら。
靴屋さんでは私の子どもの頃から変わらない形状の質実剛健低価格なものが売っているけど、検索するとロングタイプが結構主流に見えるのは、実際高齢の方なんかは長めの靴べらがあるとだいぶ楽なのかもしれない。