晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

紫陽花の季節

公園の池の端をぐるり歩いていると、水面の向こう側のベンチに銀髪の女性が座っているのが見える。夏らしく茂った木がせり出して素晴らしい木陰を作っているので、散歩の途中に一休みしているんだろう。

隣には、白い日傘が座っている。日陰だし、風もないのでさしてきた傘を畳まずそのまま脇にぽん、と置いたのだ。ベンチと池の間には青々と輝く紫陽花が満開に咲いている。

見とれながら歩いていると、面白いことに気がついた。ベンチと、紫陽花と、私、3者の位置関係によって女性と日傘が並んで座ってるように見えたり、女性と紫陽花が並んで座ってるように見えたり、日傘と紫陽花が並んで座ってるように見えたりするのだ。

なにこれ、おもしろい!

池全体がくるくる回る幻灯機のようで、私はその運命の踏み車をまわしながら何周もしてみたいような誘惑に駆られはしたのだけど、絵のように美しい休憩時間の邪魔をするわけにもいかなくて、名残惜しくもその幻の世界から離れていく。

 

近頃の悩みは花である。

初夏くらいからじわじわと値段を上げてきている切り花を買うのをついに諦めて、手に入りそうな時期は野の花を摘むことにしはじめた。マーガレットが豊富に手に入る季節はこれでしばらくやっていけそうだ、と安心しきっていたものだけど、やがて夏の盛りがやってくると、どんな小さな空き地も一斉に綺麗さっぱり草刈りがされてしまい、マーガレットの姿はおよそ見かけなくなってしまった。

それでも、空き地の隅のほうで刈り残しのわずかばかりの野菊やらを探しては摘んでいたところで、今度はカラスの子育てとバッティングして不肖人類は空き地の隅っこからも追い出されることになった。

個人的に持ち帰ってよさそうな野の花というのは、探すと本当に少ないのだ。いくら野草でも公園はみんなで見るための場所だからというので遠慮するし、もちろん私有地では取れない。そうなってくると「なんかエアスポットみたいに忘れられてる感じの謎の共有地」みたいなところを探すしかないのだけど、金に替えられるものはあらかた金に替えられ終わっているこの時代にあって、そんなもの市街地にやたらにあるはずもない。

今日もまた、アスファルトの端っこから場違いに生えてきたヒメジョオンの2,3本だけ持ち帰ることになるのだろうか、と思いながら歩いていたら、ふいに見つけたのだ。エアスポットのように忘れ去られた謎の共有地のすみっこに、実に見事な紫陽花が光っているのを。あの木立の切れた感じだと、カラスの巣もなさそうだ。恐る恐る近づいていくと、警戒してくるカラスの声は聞こえてこない。

それではうちの初代の猫のために、少しいただきますよ、とナイフで小ぶりな花房をいくつかもらってきた。できるだけ小さな房を選んだつもりではあったけれど、部屋においてみると紫陽花というのはやっぱり立派な花で、こんなに豪華な花を飾ったのは初めてではないかと思うほど、周囲がぱっと明るくなった。

 

そうかそうか、ついに紫陽花の季節なのだな。良かった良かった。

初代猫のためにお線香を一本つけて、しばし見とれている。