晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

ラジオ体操第一 ~全体主義的背骨爽快タイム

一番日差しの強い時間帯に無茶しなければめっきり過ごしやすい時間も増えてきた北国である。最高気温で30度もいかないのにあんまり暑い暑いと言うようでは毎日酷暑日が続いてへろへろになっている地域に対して申し訳ないと思いつつ、それはそれ、これはこれで暑いときは暑い。この夏感じたのは、いつのまにかめっきり直射日光が苦手になったということだ。

比較的日照時間の短い高緯度地域の育ちであるからして、昔はむやみに日にあたることが好きで、夏といえば雑に日光浴びてご満悦、日焼け止めなど野蛮の極み、と思って暮らしてきたものであったが、今年は「この程度なら帽子さえ被っておれば大丈夫だろう」と思って出歩くとテキメンに頭痛になる。昔はこういう症状を「日射病」って言ったものだが、いつの間にか日射病という言葉は使われなくなった。

帽子だけではもう駄目だ、と思って購入した日傘はしかし、差せば快適であるのははっきりしてるがどうにも面倒くさくて持ち歩く習慣ができず、考えてみれば土砂降りの中でも決して傘を持ち歩かないズボラな人間が、日差しよけのために傘を持ち歩くようになるまでには相当長い時間がかかるはずではある。今年は買っただけでまずは良しといったところだ。

 

朝、「今日はこの後気温があがりそうだけど、まだいい具合」という時間のうちに、なんとなくダイナミックに背骨などを動かしたいという欲望がムクムクと湧いてきて「おっ、これはラジオ体操だな」という啓示を得る。

ラジオ体操はリバイバルヒットしていた時期にわりと熱心にやっていたのだけど、長めにウォーキングができる時期は全身運動として結構それで十分だし、あまり外を歩けない時期はもうちょっと強度強めのヨガなどをしたい時期もあるし、ということでけっこう久しぶりに思い出した。

 

ぐんぐん日差しが強くなる予感を秘めた窓の方角を見ながら「アレクサ、ラジオ体操かけて」と声をかける。返す返すも、ラジオ体操にはスマートスピーカーが最適である。3分ちょっとのために、動画を出したり、なんらかの音源をセットしたりする暇もなく、声さえかければすぐに初めてくれるこの手軽さたるや。

聞きようによっては全体主義的に聞こえないでもない力強く朗らかな指示に従いながら背骨を大きく前後したりねじったりする。楽しい。気分があがる。猫は天袋からぎょっとして見下ろしている。

私が熱心にやっていたときと指導の吹き込みが違うやつがかかっているっぽいが、また洗練されて良いガイドになっているようだ。我々が初等教育ですっかり動きを仕込まれてしまったおかげで、やけに説明的なことを言わなくてもだいたいわかるという前提があり、昨今の「大人向けの運動」の需要を受けて、「今はどの部分を意識しながらどんなふうに使うと効果的に動けますよ」という感じの呼びかけになっていて、なかなか言われた通りにやるのが楽しい。

 

積極的にひねくれてゆかんとする日頃の行動パターンからすると「それにしてもこれは全体主義の匂いがしすぎるんじゃないか」とい疑惑は一方で持ちつつ、とにかく3分でなんか爽快になれて、大人になればなるほど、「昔仕込まれたラジオ体操とかいうやつ、しみじみすげえよなあ」と思うってもんである。

紋切り型教育のおかげで爽快な背骨ありがとう。


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