「さっき姉さんがトマトでなにかこしらえてそこへおいていったよ」
『銀河鉄道の夜』の中で、病床の母がアルバイトから帰宅したジョバンニ向かっていうセリフである。
私は、昔からこれが気になっていた。
「トマトで何かこしらえる」とは?
世の中に、トマトを使う料理はたくさんある。
グルタミン酸が豊富に含まれるから、何に入れても出汁が出てうまい。
野菜が豊富な地域ならラタトゥイユとか、肉や魚ならトマト煮込みとか、サルサみたいなソースの類もある。
でも、なんとなくそれらは「トマトも入れた料理」であって、「トマトで何かこしらえて」とは言わない気がするのだ。
味噌汁を作ったときに「昆布で何かこしらえて」とは、なかなか言わないではないか。
「トマトで何か」といいたくなるくらい主役としての料理といえばやはり冷やしトマト的なものではないか。
しかし、そうなると「トマトで何かこしらえた」という表現はかえって妙なところが出てくる。
ジョバンニがちょっとやんちゃな気分だったら「トマトでなにか、じゃなくて、トマトだろっ」と、突っ込んでしまうに違いない。
ジョバンニの姉さんは、トマトで何をこしらえたのか。
セリフのイメージだけで情景を想像すると、トマトに小器用な細工をしてパッと見ではなんだかわかりずらいオブジェ的なものを創作した、という感じが、どうもするのだ。
トマトを見るたびにクリエイティビティが触発されて、つい何かしら形容しがたいものを作り出してしまう草間彌生みたいな姉さんだったらジョバンニ一家も相当に朗らかでいいじゃないか。
暑い中にもめっきり秋の気配の深まってきてもいる昨今、おそらくは今年最後のものであろうミニトマトの完全に熟したやつがゴロゴロと段ボールに山ほど入って大変安い価格で売られているのを見かけるようになった。
見つけ次第買ってきて、ジップロックのでかい袋にそのまま入れて全部冷凍する。
完全に凍ったら暑いさなかにざらざらっと取り出して、おやつに食べるのだ。
変に甘さのないシャーベットが口の中と体の熱をとってくれるようでとても爽やかだ。
アイスの実くらいのサイズでコロコロと凍っている球形もかわいらしくて、白い皿にちょっとしたデザートぶって盛り上げて一人でつい嬉しくなってしまう。
「見てかわいい、食べておいしい、保存もきくし、冷凍トマト最高だなあ」
なぞと悦に入って積み上げていたらハッと思った。
ジョバンニの姉さん、私みたいな感じの人かっ?