「ねえ、まあちゃん」
と、名前を呼んでも我が家の黒猫は知らん顔をする。
「ちょっとお」
と、こちらから出向いていって背中をちょいちょいとつつくとやっと、くにゃっと半身をひねって振り向く。
「無視しないでよ」
人間としてはいささか威厳のない苦情を、パーツの区別の少ない黒い顔に向かって申し上げる。
そういういちいちの陳情をあまり気にしないおおらかさが「この子は妹っぽい性格だなあ」と思う。
先日まで家にいた虎猫の方は名を呼べば必ず耳を向ける真面目な男だった。
真面目な、とは言っても振り返って顔を向ける訳ではないので、人間の基準からするとこれも「無視している」うちに入りかねないところだが、猫には猫の都合があるようだ。
犬ならぬ身であれば、名前を呼ばれるたびに全身これ喜びと化してフルコミットするわけにはいかぬらしい。
しかし猫がいかに熱心に耳やら尾やら歯やらでコミュニケーションを取るかを知れば、振り返らずとも彼がよく人の話を聞いていたことがわかる。
耳の向きを全回転させたうえでもなおこちらが呼び続けると、さらに尻尾も使って念押しの返事をしてくれる、実に義理堅かった。
先日買った小さな花束の中の、りんどうをずいぶん気に入って
「虎猫のイメージによく似合うなあ」
と眺め暮らしていたら気が付いた。
後ろから見るあの生真面目な耳の形が、りんどうの青いつぼみに似ているのだ。
最近手に入れた切り花の図鑑で調べれば、りんどうはお盆や彼岸に欠かせない秋が旬の花であるが、夏の時期はつぼみの状態で出回るらしい。
『銀河鉄道の夜』に出てくる夜空一面にゆれるりんどうは黄色い底を見せて咲いていたというから、あれは秋の旅だったということになる。
どちらにしても、深い青紫色に、ちょっと寂しげな少年のイメージが似合う花だ。
りんどうのつぼみの形の親切な耳と、そこからつづく小さく扁平な後頭部。
思えば夢のような風景なのだ。