晴天の霹靂

びっくりしました

アカシアの雨には打たれ、カラスに追われ

公園や道路沿いのあちこち植えられているニセアカシアが花の季節で、マスクをつけたまま下を通ってもずいぶんと甘い匂いがする。

ここまで匂いの強い花だったのか、とマスクのおかげで今年改めて知ったのだが、それもいつの間にか散り始めて道路が花びらで覆われていた。

花吹雪が風に誘われてしきりに白く降ってくる。

永遠に咲き続けそうなほどの押しの強さに感じられたものが、いざとなればこんなふうに早々に散ってしまうのか。

 

「アカシアぁの雨に打たれて このまま 死んでしまいたぃ」

という1960年の西田佐知子の曲を、私がさすがに普通に知ってるわけはないのであるが、どうかすると口ずさんでるほどに聴き馴染みがあるのは、子どもの頃懐メロ番組でも見たのか、親が鼻歌でも歌っていたせいか。

記憶は定かでないが、印象深い歌だ。

 

「アカシアの雨」という言い回しについて深く考えたことはなかったけれど

木の葉ごしに降ってくる雨だれのことではなく、この匂いの強い花吹雪のことかもしれない、と気がついた。

アカシアといえば、街路樹のイメージばかり強かったので、アスファルトの上で唐突に行き倒れてる湿った女の子を思い浮かべては、さすがに妙な歌だなあと思っていたのだ。

そうではなくて、アカシア特有の催眠的な強い匂いの中を歩きながら「この花が散り終わるまでに居なくなれたらいいのになあ」という気持ちになる話なら、わからなくもない。

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ニセアカシアの多い遊歩道から我が家へ向かうショートカットルートに、小さな墓地がある。

風化した自然石の多い古く静かな墓地で、首の落ちてしまった気の毒なお地蔵様なんかがいるのだけど、不思議と私はそこが好きなのだ。

たぶん、その長い年月に対してなんだか親しみぶかく、少し恐ろしいせいだろう。

 

日も長いから普段歩かない奥の方のお墓も少し見てみようか、と思ってぐるっと一周しようとしたところで墓碑のひとつに見覚えある文字が眼に入った。

「え、二〇三高地?」

二〇三高地を戦った人がここにいるの?その頃ってこのあたりはこのあたりで開拓の原野だったろうに。

 興味にかられて漢字とカタカナで彫られた長い墓碑を読もうと足を止めた。

 

「かーっ、かーっ」

直ぐそばの墓石の上にすぐさまカラスがやってくる。

来たか。

知っている。今はカラスに襲われる季節なのだ。

ちょっと木の多いところではあちこちでカラスが子育てをしており、公園でも道路でも、とにかくやたらとどこでも危ないし、私はもとからカラスによくよく襲われる側の人間なのだ。

 

「ちょっと待って。読んだらすぐ行くから」

襲われ率の高さにも関わらず、カラスは賢いから話せばわかるのではないかという希望を私はまだ捨てられずにいて、声をかける。

振り向いてみると、可愛い顔をしてるし、今すぐ飛びかかって来る様子ではない

(ほんとは可愛い顔のカラスのほうが気が強いのだけど)

巣がどの木にかかってるのかはわからないが、ここから動かなければきっとだいじょうぶなのだろうと踏んでもう一度墓碑に視線を戻した。

「かーっ、かーっ」

しかし、私ごときに無視されたことに苛ついたらしいカラスは、威嚇しながらもっと近くの墓石の上に飛びうつってきて、真横でいよいよ立腹しはじめた。

「わかったわかった。ごめんごめん」

後ろ髪ひかれながら、今日のところは諦めるしかないかとその場を離れる。

  

なぜ頭がいいはずのカラスはいつも、巣がすぐそばにあることをあんなに必死に私に知らせるのだろうか。

私がおいそれと木に登ることも、空を飛ぶこともできないくらいのことは見てわかりそうなものだし、ここが人の通り道でもあることは巣を掛ける前から知っていたのだろうに。

あの子、ほんとうはどれくらい頭がいいのかね。

墓碑、気になるなあ。

雛の巣立ち、いつになるんだろうなあ。

 

とりとめもないことを考え考え、アカシアの雨にうたれて家へ帰る。